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『河辺メモ』について

33メモ追跡班:2003/01/13(月) 23:19
> 31も、1つの仮説にすぎません。
凡そ真実とは、無数無量幾多の事実から、都合の良い事実を選び取り、組み合わせ作り上げたストーリーです。事実は1つですが、真実は100人いれば100通りの真実が生まれる可能性があります。つまり真実は評価なのです。その評価の妥当性を担保するのが、より多くの事実による検証ではないでしょうか。だから、当方は『河辺メモ』の公開を望むのです。

宗門が、『河辺メモ』について、河辺師の「記録ミス」との釈明で、事のケリをつけるのは当然のことでしょう。大御本尊と唯授一人血脈相承が正宗の命脈である限り、事の真相は別にして、「法主が当山の本尊を否定」するなんてことはありえない、という見解を押し通すしかありません。

でも学会は違います。学会は、言論問題と正本堂建立以降、「広布第2章」の開幕を掲げ、路線を変更し明らかに宗門に対するスタンスを変えました。これが五十二年路線として顕現し、それに対して宗門僧侶が正信覚醒運動を起こしたのです。このスタンスは、昭和54年に一時的には挫折しましたが、学会創立60周年=平成2年をめあてに再度取り組まれ、今日に至っております。捲土重来です。相当の準備と態勢を整えての取り組みです。
宗門否定や大御本尊否定をも含んでいる今日の路線・スタンスは、長年会員への指導内容や学会存立の前提に抵触するものであるだけに、破門による分離独立という形をめざしたのでしょう。宗門にC作戦があって、「お尋ね」や宗制宗規の変更で始まり、学会を「切った」というストーリーは、一連の事相の部分観にすぎません。言ってみれば、本家否定・親殺しともいえる今日の路線を正当化していくための史実作りです。

学会は、以前より自己を正当化する史実作りに熱心な団体です。小説「人間革命」もその一例でしょう。現下において、学会や学会メディア、関係者による「広布第2章」以降の正本堂問題や御本尊模刻その他に関するストーリーも、幾多の事実から、都合の良い事実だけを選び取り、一定の目的に沿って作り上げた物語だと捉えます。

こうした捉え方も、もちろん1つの仮説です。100通りの仮説の真偽は、事実による検証です。事実の積み重ねにより真相が明らかになり、説得力のある仮説が浮かび上がります。そして最後は主観で判断するしかありません。
もっとも宗教は思い込みだから、そんなことは不必要だといわれれば、それまでですが…。


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