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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について
80
:
犀角独歩
:2002/10/19(土) 08:20
79 問答名人さん:
> 戒壇板本尊の端書は、曼陀羅の字とは、書体が違っている
やはり、そうですか。そうでしょうね。
私は永らく石山の言い分が固定観念になってきて勘違いをしていたのです。
弥四郎国重は、あの漫荼羅を図示する対告衆ではないのですね。
板の漫荼羅を彫造した張本人なんでしょう。
> 端書の年号には大歳が書かれていません
なるほど。これは確かに特異ですね。つまり、漫荼羅図示の日付でなく、何らかの意図で彫造に日を「弘安2年10月12日」としたのに過ぎないのでしょう。
この彫造した弥四郎国重なる人物は興門相伝で言われる漫荼羅讃文は「二千二百三十余年」であることも、また聖人が漫荼羅図示の日付を大歳を入れて書かれていたことも知らない程度の素養しかない人物であったのでしょうね。もしかしたら、弘安2年が「太才己卯」であることも数えられない程度の知識しか持ち合わせていなかったのかも知れません。
これは結局、学会が板に改めるとき、勝手に「池田大作」の名前を刻み込んだのと同様(自筆サインを彫り込ませたという)漫荼羅を板にしたり、臨写するとき、彫造・臨写の発願者が自分の名前を付した、その中の一人がたまたま弥四郎国重であったということなのでしょう。ただ、この漫荼羅は「本門戒壇」「弘安二年十月」という富士門徒であれば、目が惹かれる成句が刻まれ、さらに大きく豪華な作りであったので、珍重されたということではないでしょうか。
たぶん、この結論は、事実と大きくは外れていないと思います。
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