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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について

77犀角独歩:2002/10/17(木) 23:39

いちおう、ここまでのことを書いてきたので、『御伝土代』の記述について、少し書いておきます。

「さて熱原の法華宗二人は頚を切れ畢、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばす」

私は、ここを「日興上人」と漫荼羅に聖人が記されたと解釈してきました。

しかし、もちろん、石山の解釈は違います。先より挙げている『悪書 板本尊偽作論粉砕す』には「日蓮大聖人は熱原の法難に御感あって“日興上人と共に御本尊を建立”…板本尊」(P17)であるという。この見解は伝聞に拠れば亨師もこの説を述べていたようで、つまり戒壇之漫荼羅は聖人と興師が共同で建立したものであるというのです。現在ではこの解釈は表では語られないけれど、いまだにまことしやかに論じられています。

この解釈に私が反対なのは“てにをは”として違うだろうと思うからです。ここが「大聖人御感有て日興上人と御本尊“を”遊ばす」ならば、そう読めないことはないのですが、実際は「日興上人と御本尊“に”遊ばす」だからです。もちろん、そんな漫荼羅は現存しません。しかし、ここはこのように読むべきではないのかと思えます。ただし、これは憶測の域を出ない、私の管見であることは断っておきます。間違っているかもしれません。

この文をもう少し挙げると「日興上人と御本尊に遊ばすのみならず日興の弟子日秀日弁二人、上人号し給ふ」とありますから、興師に上人号を与え、さらにその興師の弟子、秀・弁二師にも上人号を与えたという記述と読めます。しかし、石山では興師と共に漫荼羅を作り、さらに弟子に上人号を与えたというわけです。

さて、事実はいずこにあるのでしょうか。この点を明らかにすることは、むしろ簡単で、石山が言うような戒壇之漫荼羅を共同で制作した証拠を挙げればよいだけのことです。(既にこの説はありますが、ここには挙げません)

もっとも、それ以前に戒壇之漫荼羅を興師が知っていたとは私には思えないのは、戒壇之漫荼羅に記される「法華講衆」という聖人命名の成句を興師は「法華衆」と記しているからです。興師ほどの厳格な人物がこんな言い換えをするとは思えないわけです。道師に至っては「法華宗」と記しています。果たして聖人の命名であり、かつもっとも中心の漫荼羅に書かれた言葉を間違えたり、言い換えたりするものでしょうか。このことから、この時代に戒壇之漫荼羅は“作られていなかった”と思えるわけです。

また斬首は15日であるのに、戒壇之漫荼羅の日付は12日(13日)、また、上にあさんが挙げているとおり、斬首の日付は別説もあるようです。この道師の記述信じるのであれば斬首のあとに図示された漫荼羅を当たればよいわけです。ちなみに、この10月に図示された漫荼羅は現存する中では

本尊集67
http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/067.html

のみのようです。斬首の何時であったのか、今後の研究を待ちたいと思います。

それにしても、仮に戒壇之漫荼羅が聖人と興師が共同で作られたのであれば、これほど、誉れ高い師弟相対の姿はないわけです。なぜ、この点を石山は高らかに述べないのでしょうか。このことがいっそうを謎を深めるわけです。


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