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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について

74犀角独歩:2002/10/17(木) 13:04

72 モトミナさん:

> 考えずに発言してしまうものなのでしょうか

まったくですね。私も不思議に思います。
結果論として、そうなってしまったというのが実際のところであろうとは思うのです。

ただ、熱原法難について、道師が興師の言と違ってしまっているのは、単に文章として見ず、伝聞をまとめたからであろうと思います。

波木井嫡男については、精師と量師はほぼ同一ですね。
この変化が起きるのは明治に霑師が北山志師の問答に窮して以降のように見えるのですが、結局、こんな形で批判に遭うと「取り繕い」、それを文書で著すと固定化する、また批判に遭い「取り繕い」、定着。こんなことが繰り返されてきたのではないでしょうか。

ただ、やや記したとおり、熱原法難と戒壇之漫荼羅をつなぐ線というのは、実は元々なかったわけです。これが関連して論じられるようになるのは、いつの頃なのか。亨師の熱原法難研究以降、もっとも信者の胸を打つ事件を、いちばんのお宝とつなげることによって、信者の求心力に使われてきたのであろうと思います。

これらの教学的な動向と創価学会の躍進は、やはり不可分で、その基となったのは、やはり学会の戸田さんでしょう。浅井さんが言うことも戸田さんとは基本的には類型に見えます。

石山にとって、亨師が教化した熱原信徒、戒壇之漫荼羅に次ぎ、大きなタームに身延離山があります。近年にいたり、石山系はやたら排他的となり、ことに身延を「邪宗日蓮」とまで言ってきたわけです。この傾向はいまも濃厚ですね。そうすると戒壇之漫荼羅の願い主が波木井嫡男はうまくない、熱原法難ともつなげたい。そんなノベライズが達師のような弥四郎・神四郎説を語らせることになるのでしょう。

しかし、こうしたご都合主義はボロがすぐ出ます。結局、またそれを取り繕う、そんな繰り返しが、年がら年中、漸減を翻す形で現れるのでしょうね。

まあ、顕正会のように、一切、他の批判はシャット・アウト、「邪宗・謗法」で片付けられるところは、恐ろしく旧態依然とした戦後の戸田さんなんかが騙った論法をいまに温存できるのしょうが、社会との脈絡を考える学会ではそうはいかなくなり、石山もいちおう仏教界の成果を意識するので修正を余儀なくされることになるのではないでしょうか。

あまり、答えになっていないかもしれませんが、そのように観察しています。


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