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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について
58
:
モトミナ
:2002/10/16(水) 17:52
あ さん。はじめまして。
>>50
について遅ればせながらレスです。
取りあえず顕正会の公式書籍である折伏理論解説書から抜粋させて頂きます。
初版版と現在版は違うものですが、この部位については全く同じでしたので、
顕正会としての公式見解だということだと思います。
折伏理論解説書 新版 P116から(旧版P112から)
大聖人が身延に入山されてより、若き日興上人の猛然たる折伏が、富士南麓にくりひろげられた。
この弘教により、弘安元年富士熱原地方に、神四郎、弥五郎、弥六郎という農民の三兄弟が入信した。
この三人は宿縁のもよおすところ、日興上人の説法を聴聞するや、直ちに熱烈な信心に立ち、次々と
入信する農民と共に「法華講衆」と名乗った。
法華講衆の折伏弘通が進むにつれ、地元滝泉寺の邪僧・行智を中心とした激しい怨嫉が巻きおこった。
彼等は幕府の権力者・平左衛門と連絡を取りつつ、法華講衆の壊滅を策した。
ここに門下の信徒が受けた法難としては今までにない「熱原の大法難」が起きた。
弘安二年九月、官憲と結託した謗法者らは、日秀(日興上人の弟子)の田の稲刈りを手伝っていた法華講衆の一同をあろうことか、
”他人の稲を盗んだ”として捕縛し、直ちに鎌倉へ押送したのであった。
(中略)
神四郎・弥五郎・弥六郎を中心とする二十人は、自若として臆することなく、一死を賭して「南無妙法蓮華経」と唱え、以て答えに替えたのであった。
(中略)
飯沼判官の放つ矢は容赦なく、一人一人をさいなむ。そのたびに平左衛門は「念仏を唱えよ」と威し責めた。
しかし、一人として退する者はなかった。かえって一矢当たるごとに唱題の声は庭内に高まった。
法華講衆はただ「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず」の大信心に住していたのであった。
あまりのことに平左衛門は驚き、蟇目を中止させた。そしてのち、神四郎・弥五郎・弥六郎の三人を引き出し、ついにその頸を刎ねたのであった。
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