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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について

38いちりん:2002/09/28(土) 23:00
問答迷人さん

ありがとうございます。過去に何度も、おんなじ論議はされていると思うのですが、しかしロムの人はいつも新しい方もおられますし、なんども蒸し返してもよいかなあと思ったものですから。

>宗学要集によれば、「(御判の内に他筆にて)本門寺に懸け万年の重宝たるべし」(第八巻215頁)とあります。

御判の内に他筆にて、というのは、日蓮さんの筆によるものだけれども、その本山書写のときに、えがいたのではなく、後の別の日に、日蓮さん自らが「本門寺に懸け万年の重宝たるべし」と書いたというのでしょうか。

しかし、「本門寺に懸け万年の重宝たるべし」などと日蓮さんが書くのは、なんとも眉唾なのですが。後の人が、日蓮さんの筆を真似て、そのように書き足したという可能性もありませんでしょうか。

>保田の万年救護と、北山の万年救護は、全く別の曼陀羅です。

保田の万年救護は、たしかに日蓮さん自らが「万年に救護」というふうに書いているのですよね。

>>違うとしたら、「万年救護本尊」と呼ばれる曼荼羅は、いくつかあるのでしょうか。
>一応、以上二種類の万年救護本尊が考えられますが、他に、弘安二年に日興上人に万年救護本尊が与えられたとする記述もありますから、日興上人の晩年に盗難に会った、弘安二年の曼陀羅も、万年救護本尊と呼ぶべきなのかも知れません。

「弘安二年に日興上人に万年救護本尊が与えられた」というのが真実ならば、まあいわゆる「出世の本懐」などという本尊があるとしたら、それが「そのもの」らしい感じですよね。

しかしまあ、盗難に遭ってしまった。そして、結局、それはどこかに行ってしまったわけですよね。

まあ、そのことも含めて、盗難にあったり、破かれたり、水に流れされたり、火災にあったりして、形が崩れたり消えてしまう可能性のある曼陀羅という「物体」をもってして、日蓮さんが出世の本懐であると宣言するなどというのは、やはりへんだなあとは思いますね。

やはり「有相」(うそう)の本尊が究極というのは、どうも日蓮さんの教えからして、また
仏教の教えからして、どあもおかしいなあという感じはしますです。


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