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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について

1010彰往考来:2004/12/27(月) 07:41

スレッド1008での犀角独歩さんのご質問にお答えします。

>当時の事件を伝える論調から御筆漫荼羅紛失が浮かび上がらないように見えます。

とおっしゃるのはちょっと首を傾げます。なぜなら当時重須本門寺で御筆漫荼羅が強奪されたという記載は、堀日亨編『富士宗学要集 第九巻 史料類聚〔2〕』(昭和53年、創価学会、以下「富要集九巻」と略します)などを紐解けば、かなり出てくるからです。例えば、
『本門寺日殿申状の案』(「富要集九巻」19頁)
 「御筆本尊等返し給ひ安堵の面目を開き」
『本門寺宝物目録』(「富要集九巻」20頁)
 「一、日蓮御筆漫荼羅大小弐十幅。」
『本尊已下環住の記録』(「富要集九巻」21頁)
 「一、日蓮大上人御真筆漫荼羅大小十一幅。」
   ※引用者注:“大上人”とあるのは「富要集九巻」原文のママ。
『二箇の相承紛失の由来』(「富要集九巻」23頁)
 「其日の乱入に彼の二箇の御相承並に大聖開山御筆の漫荼羅三四十幅濫妨に取られたるか」
等々です。『本門寺宝物目録』と『本尊已下環住の記録』はそれぞれ強奪された重宝類の目録と返却された重宝類の目録です。但し、この2点の資料には疑義があります。堀日亨師は「以上の文献は当時のものにあらず、近代の筆にて文中不可解の事多く、(現存せる家康に謚(し)号の東照神君などというごとき等)、」(『富士日興上人詳伝』昭和38年、創価学会、147頁)と指摘されていまして後世のもののようです。そのため綿密な考証が必要ですが、それについては別の機会にしたいと思います。

>たとえば、『重須と西山と御大事等の本門寺諍ひの事』に・・・。 むしろ強奪された重宝類に禅師授与漫荼羅は含まれていなかったと窺えると思えますが如何でしょうか。

『重須と西山と御大事等の本門寺諍ひの事』は「富要集九巻」23頁にある『妙本寺古記』の中にある資料ですね。ここで堀日亨師は「無題の記録なり筆者年代不明なれども祖滅三百二年後のもの、但し転写のものにあらず」(「富要集九巻」23頁)とされています。祖滅三百二年後は天正11(1583)年で、その時の内容ということです。この資料は「富要集九巻」では先の『二箇の相承紛失の由来』に引き続いて編集されています。内容詳細は略しますが、ご指摘の箇所は、その少し前から読みますと、「重宝類は300年間重須にあったのだから重須にあるのが正しいとの家康裁定で西山本門寺の日春は面目ない結果となった。日春は西山から擯出されるべきで、その重罪は二箇の相承や日代八通の譲状などの重書が紛失してしまったことである。」といった意味と解釈されます。『重須と西山と御大事等の本門寺諍ひの事』は“御大事”であった二箇の相承や、その紛失などに主眼がおかれていますので、ここに記載がないから強奪された重宝類に御筆漫荼羅は含まれていなかったのではないかということにはならないと考えます。

by 彰往考来


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