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富士山本門寺について教えて下さい

78独学徒:2007/02/24(土) 20:52:20

しゅんかんさん、ご質問の件ですが記憶のままに書かせていただきます。
ここには私より詳しい方が沢山いらっしゃいますので、修正等は諸兄にお願いしたいと思います。

①と②については、事実関係はどうあれ、一応は語られていると思います。
③については、私は初耳でわかりません。

②については、日櫻貫首と日成学頭とでは見解が違っていたと記憶しています。
日櫻貫首は伝承通り弘安ニ年日法作と説法されますが、日成学頭は聖人滅後身延にて日興上人が作成といいます。
また日成学頭は御影の首に書かれた日郷による謂書を、石山から保田への遷座の証文としているようです。
こちらは私は未見です。
日櫻貫首の弘安ニ年日法作の根拠は保田の伝承でしょうが、某他山の歴代が江戸期に保田の御影を和紙に墨書しており、そこに弘安ニ年日法作とありますので、少なくとも江戸期には弘安ニ年日法作を外部に対して主張していたと思われます。
他山歴代の墨書は私も実見しました。どうも某研究者らが多数写真を撮って行かれたようですので、いずれどなたかの論考に出てくるのではと思います。

それから石山の御影は、所謂「本門戒壇ノ大御本尊」の余った木で作ったといわれるもののことを、仰られていると思いますが、所謂「本門戒壇ノ大御本尊」自体が後世作成のものである以上、日法作はありえないでしょう。
また御影堂の御影は石山自身が言うように、日時の代に越前法橋快恵によって彫刻されたものとみて間違いないと思います。
小泉久遠寺の御影は、今は本善寺の御影ですね。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/Temple/Kyushu/honzenji.jpg

實成寺の御影は、「日尊笈の御影」との伝承ですから、石山から遷座等の伝承はありません。

いずれにしましても、確実に日法作である御影は、未だ一体も見聞きしません。全て後世作成のものです。


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