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富士山本門寺について教えて下さい

70れん:2007/02/19(月) 10:06:16
横レスその4
日興の重須移転の背景を考えますと、犀角独歩さんが仰るごとき事由も有るだろうと思えます。
泣く子と地頭には勝てずという言葉があるように、身延離山の背景には「我は民部阿闍梨を師匠にしたるなり」という、地頭の日興との決別があった。上野の場合は、そのような師弟決別の悲劇はなかったけれど、時光はどちらかというと、姉の子である日目を肉親の情から重んじたような風景が見えます。日興が石山が開山した日と伝えられる日に書写した大幅の漫荼羅(当初の石山仏前に懸けられた漫荼羅でしょうか)を日目に授与していることも領主である南条時光の意を汲んでのことでしょうね。
重須移転も甥の日目を重んずる南条氏の意を汲んでのこととも考えられます。しかし、北山に伝わる棟札に記される年号とは裏腹に、日興に重須の坊地が寄進されたのは日興晩年でそれまでは重須でも借地住まいであったことも確かですね。しかも、日興みずから重須の後継者に指名した日代が、日興死後、地頭等との不和からこれまた擯出・離山にいたるところ、日興の意志は滅後には地頭には反故にされた。このように見ると、やはり「泣く子と地頭には勝てぬ」が現実だったのでしょうね。


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