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富士山本門寺について教えて下さい
69
:
れん
:2007/02/19(月) 09:30:56
横レスその3
独学徒さん
>64
独学徒さんの典拠は伊豆実成寺の過去帳でしたか。いずれにせよ、日尊の後継者の日尹が自筆漫荼羅に日興日目日尊日尹と自らの系譜を書いている以上、初期日尊門流には日蓮日目といういわば日興を無視した系譜の概念はなかったでしょうね。
日興上人御遺跡事についてですが、文中の日興仰による上野(石山)六人老僧による“支配”とはあくまで「日蓮聖人御影並御下文〈薗城寺申状〉」にかかるもので、石山の土地の所有権に懸かるものではないですね。少なくとも、石山を含め大石ケ原の土地に関しては、日興日目在世は一貫して南条氏の所有の所領であり、経済的な困窮から南条氏は日興はおろか日目にすら大石ケ原の領地を寄進できなかった事実は認識する必要があります。日伝図によれば大石ケ原の南条氏の所領の土地は西方が南条左衛門三郎、東方を惣領時綱による相続が確認できる以上、大石ケ原の所領の坊地の土地を西東に分けて自分の息子二人に相続させたのは南条時光その人であると見るのが至当で、その時光の息子達が一人に絞って寄進せず、それぞれ有縁の僧に相続または寄進してしまったのが、そもそもの後の相論の遠因でありましょう。
日目もときどき重須に住していたことは日目“与民部日盛書”に「先年重須にて労リ候しも…」と確認できるところであり、日目が奥州や重須にあって石山不在の時日盛が留守居をしていたことが日盛“与又五郎殿書”(本状は又五郎らを介して日目へ呈上、日目の与民部日盛書はもとはその紙背にかかれたものを相剥したもの)に確認できますね。
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