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富士山本門寺について教えて下さい

62れん:2007/02/18(日) 19:39:29
横レスその2
>尊門の歴代には日興が明らかに認められる
独学徒さんが言われたのは日尹師書写本尊のことでしょうか。京都要法寺蔵日尹師書写漫荼羅には「応安三年十月十三日、富士日興上人日目上人日尊上人、日尹(花押)/沙弥尼妙義授与之」とあり、この当時の尊門の法統意識が分かりますね。
日目筆申状には写真を見るに「日蓮聖人弟子日目」とありますが、「副進(中略)一通 先師日興上人申状 元徳二年」と日興に“先師”と冠していることは注意するべきところでしょう。
重須は、正中二年十一月十三日付けの石河能忠「寄進状」に「右ニ日れんしやう人のみゑいたたせ候間、ひやくれんあさりの御房、妙源かししやうたる間、いちゑんふしうにゑいたいをかきりてきしんしたてまつる所也」とあり、その濫殤を示すものですが、日興の死後、日興の後継者たる日代が重須を出した背景は日代の「目安」によると地頭の石河氏との不和もあると思われ、重須もまた石河氏の私寺(日代目安に「彼の所は妙源私に寄進の地なり」とあり)氏寺という性格であったと言えるでしょう。重須は正中年間に下りますが正式に日興に寄進されたから、日興は安住出来ただけの話であるとも思います。


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