[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
富士山本門寺について教えて下さい
60
:
犀角独歩
:2007/02/18(日) 16:49:14
独学徒さん
> 日興は既に重須に拠点を移していた
そうですね。では、なぜ、弟子日目は日興に随身給仕しなかったのでしょうか。
弟子でありながら、なぜ日興の膝元にいなかったのでしょうか。
石山は、たかだか南条の氏寺でしょう。管領は南条家だったのではないでしょうか。
>仰せの趣旨であれば
違います。日道・日行の例ではなく、「日目は日蓮聖人の弟子」だと言っているところに重があります。日興の弟子と日目が言っていない点はどうですか。
> 日目の天奏は、事実命がけであったわけで、その行為・行動は日興遺弟としての振舞に微塵も相違なしといえると思います。
これは決めつけでしょう。日目は「日蓮聖人の弟子」といって、天奏しているではないですか。日目の天奏が命がけであったことは事実としても、日興につなぐのは短絡でしょう。日目は日蓮聖人の弟子といって天奏をしたのですから、日蓮のために為したことでしょう。
また、本門寺と天奏と、どのような関係があるでしょうか。
> 元徳三年十二月に日目が書写した本尊が保田妙本寺にありますので、本尊書写自体は日目も行っていたと思います。
では、なんのために、日興から本尊を下げてもらったのでしょうか。矛盾しませんか。この会通はどうなりますか。
> であれば、尊門の歴代には日興が明らかに認められる
具体的な例を挙げてください。
上行院には、日興のどの本尊が懸かっていたのでしょうか。
日像は帝都弘教をし、菩薩号を授かるに、日蓮に大菩薩号を先駆けました。
では、日尊は油小路に土地を配領し、日興をどのように扱ったのですか。
>わたしが日蓮宗を負った議論ではありません。
執行師の例を引きましたが、それはあくまで例です。
わたしは、大石寺から、なぜ日興が退出したかという点から考えています。
> 東西分離制
しかし、実際のところ、日興は重須で弟子を育成していたのは、事実ではないですか。ここは檀所で、日興の管轄です。
しかし、大石寺は南条の氏寺、日興が云々という話とはならないでしょう。
当時の大石寺を、いまのような本山のように扱った議論は現状からずれていると思いますが、この点はどうなんでしょうか。
また、東西分離は、では、誰がしたのですか、日興ですか、日目ですか、それとも南条ですか。独学徒さんは、日目だというわけでしょう。
日興が師匠なのに、日目がすること自体、既に外れていませんか。
日興がしたのであればわかります。
だいたい、譲座本尊など、伝説に過ぎないわけです。では、日目が大石寺の住職であり、かつ、日興にその半分を与えたという証拠は何を以て言うわけでしょうか。
> 日目は日興の高弟であることは動かない
同じことを繰り返すことになりますが、わたしは日目が日興の高弟ではないとは、ひと言も言っていませんよ。日興の弟子なのに、日蓮の弟子を名乗ったと言っているのです。孫弟子の分際で、直弟子を名乗ったという意味です。僭越でしょう。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板