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富士山本門寺について教えて下さい

59独学徒:2007/02/18(日) 16:05:30

犀角独歩さん、

>その目的であれば、隠居坊を一つ置けば住むことです。・・・それが師資の道です。

日興は既に重巣に拠点を移していたわけで、本来日目一人の官僚でよいはずです。
しかし日目はそうしなかったところに、日興に対する敬意をみます。

>日目の『申状』は・・・日道・日行は「日蓮聖人の弟子日興の遺弟」としていることとは好対照をなしていませんか。

日目の例と、日道・日行の例を一緒に出来るかどうかはわかりません。仰せの趣旨であれば、むしろ日道は「日目の遺弟」、日行は「日道の遺弟」と記すべきだと思います。
日目の天奏は、事実命がけであったわけで、その行為・行動は日興遺弟としての振舞に微塵も相違なしといえると思います。

>日興は、日蓮から本弟子六人に認められる・・・その意味からわたしは記したのです。

元徳三年十二月に日目が書写した本尊が保田妙本寺にありますので、本尊書写自体は日目も行っていたと思います。

>日目の本尊は日興とは違います。しかし、日郷の本尊は日目と似ています。このことがいったい、何を意味するかです。

この点は正直判断できません。似ているものもありますが、そうでないものもあります。
小泉久遠寺の日目守と、同寺所蔵の日郷本尊は確かに似ていると思います。
こちらも以前ブログで紹介しましたが、日郷本尊は主題直下の例をとれば「日蓮聖人」と「日蓮御判」と記すものが混在していますし、主題などは独特の書風が感じられます。
保田妙本寺は写真を撮らせてくれないので、具体的に鑑別できないのが現状です。

>意識することと、認められることは別のことでしょう。

であれば、尊門の歴代には日興が明らかに認められると思います。

>考え違いをされては困るのは、・・・わたしが日蓮宗を負った議論ではありません。

仰ることは分かりますが、そもそも私が「重須側や執行師ら日蓮宗側の言い分は・・」と記したのは、>48の「執行師だったか失念しました。日興は身延で地頭と不和で山を下り、・・・」に対してです。確かに重須系や日蓮宗側からかような議論があることを、見聞した記憶がありました。それに対して、私は現在のところ興風談所の東西分離制といいますか、そのような考えの方を支持しているということです。

>もう少し創価学会のことについて、補填しておきます。・・・

私は創価学会と宗門のような不純な関係は、日興・日目の関係とはまったくダブりません。
日目は日興の高弟であることは動かないと思います。


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