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富士山本門寺について教えて下さい

56犀角独歩:2007/02/18(日) 10:39:52

独学徒さん

> 日興に対して常に居場所を確保されていた

その目的であれば、隠居坊を一つ置けば住むことです。
大石寺の実質的責任者を、日興にするか、日目にするか、半分にするかということですよ。わたしが師を仰ぐならば、自分をさておいて、師を立てます。半分ではなく全部を師のものとします。それが師資の道です。

> 「富士山本門寺」…天奏もまさに日興を意識した…師日興の意思を実現せんとする行動

そうでしょうか。では、なぜ、日目の『申状』は「日蓮聖人の弟子日目誠惶誠恐謹んで言す」としているのでしょうか。ここに日興の弟子といわず、日蓮の弟子といっています。

日道・日行は「日蓮聖人の弟子日興の遺弟」としていることとは好対照をなしていませんか。

> 日目…勝手に印刷本尊を配布していることとは全く逆の行為

いや、そのようなことをいっているわけではありません。
印刷本尊など例に出していません。もし、創価学会で例を採れば、むしろ、模刻板を挙げる方が至当でしょう。しかし、そのようなことからいったのでもありません。書写という観点からです。

日興は、日蓮から本弟子六人に認められると共に漫荼羅書写に関する允可を得ていたのではないでしょうか。日目が晩年まで、漫荼羅を書かなかったのは、日興から、その允可がなかったからでしょう。漫荼羅の書き方がわからなかった、もしくは許可をされなかったということではないですか。その意味からわたしは記したのです。

> 郷門僧の書写する曼荼羅に、「日目上人遺弟」の文言…日目直授相伝(学法)が強調されはじめることの方が後代成立ではないでしょうか。

教学的な確定としては、そうでしょうが、日目の本尊は日興とは違います。しかし、日郷の本尊は日目と似ています。このことがいったい、何を意味するかです。

> 日尊…破門になった故事は有名…郷門以上に日興の介在を意識

意識することと、認められることは別のことでしょう。

> 日目と日興の関係は、一部の重須や日蓮宗系の方の考えよりは、興風談所の考えが妥当だと考えます。

考え違いをされては困るのは、わたしは重須・日蓮宗からなど、ものは言っていません。独歩して自分の考えを述べているのです。その点では、興風談所も全く関係ありません。

ここでの議論は独学徒さんとわたしの議論なのであって、独学徒さんが興風談所を負い、わたしが日蓮宗を負った議論ではありません。

わたしは重須とも日蓮宗とも、興風談所とも考えは違います。
もし、そこかしこに異論を言うのであれば、直接、いいます。


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