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富士山本門寺について教えて下さい
55
:
独学徒
:2007/02/18(日) 09:06:51
犀角独歩さん、
>石山が東西2分していた。もし、これが事実であれば、・・・不届きな所行といえませんか。
私はむしろ逆の考えでいます。
日興は重須に居たわけです。その重須にいる日興に対して常に居場所を確保されていたと考えます。
その場に日興はいなくとも、常に日興の存在を意識し続けた、それが日目であろうと考えます。
日目は最後、天奏の途上で亡くなるわけですが、「富士山本門寺」この構想が日蓮ではなく日興の独自思想であれば、この命がけの天奏もまさに日興を意識したもであり、師日興の意思を実現せんとする行動だと思います。
>漫荼羅その他のことは、当時の規律として、・・・石山に矢を射ながら、本尊については、石山のものを使っています。
日目の行為と、学会・顕正会等の所業とは一緒に出来ないと思います。
日目は弟子分へ授与の曼荼羅を日興に申請し、そこに授与書を加えて授与していたわけですから、勝手に印刷本尊を配布していることとは全く逆の行為だと思います。
>また、妙本寺、上行院、住本寺といった文献を見るに、その相伝譜は日蓮・日目で、そこに日興が介在することが確定するのは後代のことではないでしょうか。
以前ブログで紹介したことがありますが、日郷の直筆系譜にも日興の介在はあります。
日興を入れた系譜と入れない系譜(受法と学法)と二種あって、たて分けられてとはいえると思います。
郷門僧の書写する曼荼羅に、「日目上人遺弟」の文言が入るのは日要以降ですので、むしろ日目直授相伝(学法)が強調されはじめることの方が後代成立ではないでしょうか。
日尊についても、重須で日興の講義中に破門になった故事は有名ですが、郷門以上に日興の介在を意識した系譜ではないかと考えます。
>師匠を凌駕する不届きな奴という印象しか懐けないということです。
私は日目また日目の後続者達が日興を敬い、決して不届きなものではなかったことを、その後の事跡などから判断しています。
先にも記しましたが、日目と日興の関係は、一部の重須や日蓮宗系の方の考えよりは、興風談所の考えが妥当だと考えます。
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