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富士山本門寺について教えて下さい

54犀角独歩:2007/02/18(日) 07:21:10

> 日目が日興と仲違…反目

これは、ちょっとニュアンスが違うと思います。
そのようなことを言っているのではなく、日目は、いま考えられるような師資の関係とは違っていたのではないかということです。

石山が東西2分していた。もし、これが事実であれば、師弟間でこんなことをするでしょうか。この二等配分は対等関係ではないでしょうか。もし師として立てるのであれば、こんな肩を並べるような真似は断じてしないでしょう。だいたい、弟子の分際で師匠在生の時から、半分を管領するなど、不届きな所行といえませんか。

仮に日目がこのようなことができたとすれば、その背景は、上野が自分の縁故であるから、そして、新田卿といい、小野寺の流れという当時の身分制度では、日興の出を圧する血筋をもった日目は人脈といい、財産といい、日興を凌駕していたと想像できます。日蓮との関係は、日目を凌ぐものの、実質的な財力、権力は日目が勝っていたのではないのかというのが、わたしの見方です。

漫荼羅その他のことは、当時の規律として、日興門下では日興以外は書かないと言う決まりを守っていただけではないでしょうか。
たとえば、いまの正信会が、石山を批判したところで、では、自前で本尊を書くかと言えば、そうはしていない。では、石山に従っているかと言えば従っていない、漫荼羅を自分が書写しなければ従っているということにはなっていません。この点は、創価学会も、顕正会も同様です。それぞれ、石山に矢を射ながら、本尊については、石山のものを使っています。

また、妙本寺、上行院、住本寺といった文献を見るに、その相伝譜は日蓮・日目で、そこに日興が介在することが確定するのは後代のことではないでしょうか。

現代の例を採るのはナンセンスかも知れませんが、大石寺の正嫡は、その相不の実否はどうとしても、「御法主上人猊下」であることは論をまちません。ところが、その膨大な財力と人力を誇る「名誉会長」は、それを凌駕し、会員の上に君臨しています。実際、大石寺内にその財力を持って、自分の名前を刻み続けたのですが、実質的中心者である「御法主上人猊下」は、これを苦々しく思っていました。

わたしが石山二分管領という資料から受けるイメージは以上のようなところです。ストレートな言い方をすれば、金と人脈にものを言わせて、師匠を凌駕する不届きな奴という印象しか懐けないということです。


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