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富士山本門寺について教えて下さい
50
:
れん
:2007/02/17(土) 19:36:19
犀角独歩さんの仰るとおりですが、さらに言えば、南条氏は石山の主僧と目された日目にすら石山の不動産を譲渡することが出来なかったということです。当時の資料から察するに、興目在世の石山の不動産はあくまで南条氏の所有で、西坊地=日興、東坊地=日目という図式は、当時の資料からは立証できません。ですから、わたしは興目両師を支配者ではなく管理者と書きました。興目両師は南条氏にとって“帰依僧”ですから、南条氏は当然僧俗の筋目を守り師弟の礼をもって両師に給仕されたでしょうが、当時の資料を読むと、現実には上野南条氏は地頭職ながら貧乏な地頭の部類に入る様で、石山の所有権を興師または目師に寄進ないし譲渡できる程裕福ではなかったのではと考えます。日興は「大石持仏堂本尊日代闍梨」と脇書した漫荼羅を元享年間に書写しておりますから、この時期、日代師を石山の興師の坊を代官として日代に管理させたことはあったろうと思いますが、あくまで管理で、土地の所有権は南条氏であって西坊地の所有権が日興−日代と相続されたことはなかったと愚考します(この点、日目と東坊地の関係も同様と考えます)。興目在世の石山は建物たる坊そのものの管理は各々の坊の住僧がおこなったでしょうが、土地の所有権は地頭の南条氏の経済的理由により興目両師に寄進譲渡出来ずに南条氏にあった。で、興目両師の死後、時光氏の子息の時代に、各々有縁の僧にやっと相続または寄進するに至る。だらだら書きましたが、ここのあたりの経緯に、石山初期の係争の淵源があるのではないかと思います。
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