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富士山本門寺について教えて下さい

46独学徒:2007/02/17(土) 14:27:34

2チャンネルの記事拝見しました。
どなたかは存じませんが、顕正居士さんが評価されるだけの事はあるのでしょうね。

係争の流れは理解できるのですが、何故、郷門が御影を遷座したのかがわかりません。
文献上は日時は、御影の返還は要求しましたが、所謂「万年救護大本尊」の返還を求めたことは聞き及びません。
また、日時が御影の返還を求めたのは小泉久遠寺に対してであり、中谷山妙本寺ではありませんね。
複雑ですが、この係争は目師の後継者がどうというものではなく、「大石寺」という建物・土地の相続権争いということではないのでしょうか。
そうでなければ、日郷が日伝という稚児貫首を次に指名する理由がありません。
日伝は稚児貫首ですので、日伝の文書がどこまで信憑性があるかは疑問が残ります。
西坊地の初代支配者は日興であり、東西の坊地の主が東=日目、西=日興というのが、興風談所の見解であったと思いますが、この二仏並座ならぬ二師支配制が妥当な見解であるとすれば、西坊地の相続は日興⇒日代⇒日行という系図が考えられると思います。
ただし、日代と日行の間に、代官として日道が関わった可能性はあると思います。
かたや東坊地は、日目⇒日郷⇒日伝ですが、実際には日目⇒日仙(代官)⇒日郷⇒日賢(代官)⇒日伝となるのだと思います。
日代日仙の問答を契機に、東西統一貫首の必要性が求められ、係争が勃発したと考えれば、大石寺の主住争いの中身は本尊やら相伝やらではなく、建物・土地の支配権の争いということだと思うのです。


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