したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

富士山本門寺について教えて下さい

109れん:2007/03/10(土) 19:34:45
鳥辺野さん
木像を見るかぎり、正直いいまして、それぞれ違うというのが印象ですが、絵像で言えば、先ずは中山法華経寺の御影でしょうか?石山の鎌倉末期の御影や讃岐本門寺の御影も顔形が似たりよったりですから、これらの古い御影の絵像から推測する限り蓮師は丸っこい顔付きの方であったろうというのが個人的な感想です。
興師は正応元年(1288)の原殿書で「日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人奉書候へとも、未た木像は誰も不奉造候」と本門本尊が久成仏であることを示されておりますが、興師直弟では「戒壇安置は漫荼羅の図の如く仏像安置」に変容し、さらに室町中期頃には富士門僧が言うところの本門本尊が久成仏から蓮師御影に置換されています。
富士門流において日蓮御影が本門本尊とされていった裏には、素朴な祖師信仰の継承と、富士門僧が仙波等で摂取したであろう中古天台の「本因妙修行とは常不軽の立行也」(玄義私類聚)「俊範御義に云わく、釈尊の本因の行とは不軽菩薩也」(等海口伝抄)といった思想から蓮師の「日蓮は是れ法華経の行者也。不軽の跡を紹継するの故に」(聖人知三世事)等の自覚を再解釈していき、久成仏の因位名字即の姿を蓮師の相に観るに至り、日蓮御影本尊という考え方に行き着いたものと愚考しております。

110鳥辺野:2007/03/10(土) 20:28:58
れんさん
私は中山の絵像の表情は保田妙本寺の御影の顔に似ているという印象を受けました。と云うより、彰往考来さんが99で説明されたように、妙本寺が大石寺御影を元禄十五年と明治二年に彩色を施した時、中山の絵像の顔に似せて化粧をしたのでは?と私は思いました。
>本門本尊が久成仏から蓮師御影に置換
その件私も同感でございます。

111彰往考来:2007/03/10(土) 21:25:02

>107 れんさん

美濃氏の著書にある写真を富士教学研究会
http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/1/11/
に投稿しましたので参考にしてください。

彰往考来

112彰往考来:2007/03/11(日) 17:24:38

>103 独学徒さん

強装束について富士教学研究会の談議所
http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/index.html#TH_ST11

に私の所見を投稿しました。

管理人さまへ

本来ならばこのスレッドに所見を投稿すべきですが、画像を添付したほうが理解しやすいので独学徒さんの談議所に投稿しました。ご了解ください。

彰往考来

113れん:2007/03/11(日) 19:32:52
>110 鳥辺野さん
保田の正御影が江戸時代・明治時代に彩色が施されたとのこと、案外、鳥辺野さんの仰るように、中山の絵像の御影の彩色を参考にされた可能性はあると私も思いました。


>111 彰往考来さん
ご教示有難うございます。光長寺の御影も江戸時代ですか…。としますとやはり確実に日法師の“彫刻”にかかる御影というのは存在しないということになりますね。やはり日法師が彫刻の名手という伝承は所謂伝説の域を出ないということになりますね。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板