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富士山本門寺について教えて下さい
1
:
問答迷人
:2002/02/26(火) 13:51
1 名前: チョンガー 投稿日: 2001/01/21(日) 20:22
富士山本門寺は、王仏冥合を条件とする本門戒壇であり、その起源は古く千二百五十三年
の日蓮大聖人の立宗に始まり、その御遺命に従った直弟子、日目上人は後醍醐天皇へ度々
進言し、その宗旨を理解した、後醍醐天皇の勅願に依って開山された、仏教の結論である本
門戒壇の本門正宗である。
今日、西山・北山・池上・讃岐等の各山が本門寺号を名乗るのは後醍醐天皇の勅願
に依って当富士山本門寺が成立した事に依ってである。諸山は当本門寺の各坊して
の位置に在ったのであるが、この宮方の象徴的富士山本門寺は、程なく、駿河の守
護大名、今川義元による富士山本門寺本堂焼き討ち事件により、本堂を失い各山が
本門寺号を名乗る様になった。
以上、
http://www.alphatec.or.jp/~tochihal/index.html
#INDEXより抜粋。
実は本門寺、1631年に今川義元によって焼失させられた経緯があるんです。
それまで人々は現在の富士市の地名を取り「大石寺」と呼んでいました。
そう、大石寺と名乗るお寺さんがどうにも静岡の「富士宮市」にあるようですが、
本当は「富士市」になくてはいけないんですね。
まあ焼失の際、血脈が途切れたりしたら終わりだったんですが、小野寺左京さんが
大泉寺で本尊を守ってくれたからこそ、現在の本門寺があるわけです。
さて、ここから歴史のカラクリがあって面白いんですが、この焼失した大石寺に
目を付けた人がおりました。名前は「敬台院日詔」、徳川家康のひ孫娘です。
彼女は自分の夫を弔うお寺を欲しがっていました。
しかし当時、幕府は財政難だった事からお寺を新造する事を禁止していました。
しかししかし断る事も出来なかったんです。
この敬台院さんのお祖父さん、非常に徳川家に貢献した人でこの人無しでは
徳川家の繁栄はありませんでした。しかし結局は織田信長にいちゃもんつけられて
切腹させられてしまった過去があったんです。
頼みを断れない幕府は考えました。「そうだ!ウソウソ引越し作戦だ!」
そう「富士市」大石寺焼失の翌年、お引越しという名目で「富士宮市」に
大石寺という同じ名前の全く違うお寺が建てられたのです。 ありゃりゃん。
以上、
http://www1.linkclub.or.jp/~taji/kiji3/hon.html
より抜粋。
簡単に言うと、富士山本門寺とは、日目上人の折に後醍醐天皇の勅願に依って立てられた、本門の戒壇である、という事ですね。
西山・北山・池上・讃岐等の各山が本門寺号を名乗っているのは、富士山本門寺があってのゆえである。という事です。
戒壇の御本尊は、日蓮大聖人が弘安二年十月十二日如実に像にされた「本因妙大本尊」だそうです。
もし、富士山本門寺の主張が正しければ、
すでに、本門の戒壇は建立されているという事。
また、本門の本尊が、富士山本門寺にあり、
富士宮の大石寺にあるのは、本門の本尊とは違う、という事になります。
この、富士山本門寺について、ご存知の方がいらっしゃれば、
情報を教えて下さい。
2
:
バックアップ
:2002/02/26(火) 13:53
12 名前: 独歩 投稿日: 2001/01/28(日) 21:57
お邪魔します。
本門本宗の主張について、ちょっと、記します。
私はもうかれこれ20年ほど前、教祖が小野寺直と名乗っていた頃に初めて会いました。
そのためにその後、日了と名乗りだし、本門本宗を起こす歴史を時間軸で見てきました。
その経験から記します。
小野寺さんは、もう20年ほど前、たしかに、いま言っているようなことはすでに
言っていました。初めて紹介されたときは「実業家」というふれこみでした。
後醍醐天皇から拝受したという紫衣を見せて貰い手に取ったこともあります。
あの人は創価学会のある人間とデパート・松屋の外商・お菓子の榮太郎と組んで、
当時、まだ大石寺にあった御影堂売店にお土産の羊羹を売り出そうとしたことが
あったんです。この羊羹のパッケージの外装デザインに使われたのがなんと紫衣!!
商品名は「瑞鳳」。こんなことを知っているのは何人もいません。
正直、私は広宣流布にかかるはずの日目上人の、それも天皇から貰ったという紫衣を
パッケージデザインに使うっていうのはなんたることか!と疑問にもったものです。
そのようなことから多少、あそこの初期の内部事情を知っています。
彼が実業家で、売り込みを行う人であること、これは重要な点です。
まず、あそこの本尊は保田妙本寺の万年救護のレプリカです。これが本因妙大本尊の
正体です。
また、紫衣の信憑性は手に取った限り、ほとんどありませんでした。
あと、重要な点を記します。
あそこの主張では「小野寺さんは日目上人の末裔で、大聖人の仏法を受け継げるのは
日目上人の血筋の者」ということになっているんです。まあ日目上人は日蓮大聖人・
日興上人の流れから見るのではなく、大聖人から即行日目上人としたかったのは自分が
日目上人の末裔であるという伏線によるわけです。
ところがです。日蓮正宗では明治に至るまで僧侶は妻帯をしていませんでした。上代は
もちろんのこと、三祖が妻帯をしたことはないですし、子供がいたなんて話もない。
それなのになんで日目上人の末裔がいるわけがあるんでしょうか。
僧侶は子供によって継ぐのではなく、法統によって継ぐのが慣例です。つまり、日道上人
に継いだわけです。(これに異論を唱えたのが保田の基・日郷上人でした)
ああ、それなのに彼は自分こそ日目上人の末裔だというんですね。彼は当時、大聖人以来
の僧侶が妻帯をしなかったという基本的な事実を現代の僧侶状況と同じと見て、日目上人
末裔説を作ったわけでした。(そのあと、その事実に気付き、あれこれと論を取り繕い、現在に至っているわけですね)
もちろん、そんな事情を見抜かれて大石寺からは、御影堂売店で羊羹「瑞鳳」販売する
商売の話は一蹴されました。
組んでいた創価学会の人間は面目丸つぶれ。以来、日蓮正宗と創価学会への怨念は増した
のでした。
実業家が宗教の開祖になったわけです。そこで語られる本尊・教義・宝物、信憑性があるわけないと私は思うのです。
以上、これは批判などではなく、事実です。小野寺さん自身、この私の書き込みを読めば、
私が誰であるか、だいたいの予想はつくはずです。まあ、認めないでしょうけど。
3
:
管理者
:2002/02/26(火) 13:54
このあとのレスは省略しました。下記アドレスで、バックアップを閲覧できます。
http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/fujimonkeijiban.htm
4
:
いちりん
:2002/02/26(火) 13:58
ううむ。おもしろい話ですね。
いろんな方が、おいでですねぇ。。
「富士門流おもしろ人間図鑑」というスレッドがあると楽しい。
けど、荒れるなあ。中杉氏とが出てきちゃうし。。
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