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素朴な疑問

506アネモネ:2002/09/12(木) 00:27
いちりんさん

>──怒りのパターン──
というものが、あるんだと思います。

まったく、その通りなんです。
「おお、きたきた。またきたか」というところまでは、私にも自覚があるんですね。それを仕事のときなどは、背中にしょってるものがあるので、たいていは我慢してるんですね。ところがそれでも、どこからともなしにGOサインが聞こえてくるときがあるんです。
それこそ別のスレッドでも書きましたが、クレームを言わなければならないと判断してしまった瞬間なんかそうですね。お寺に対するクレームも同じです。
そうなると、もうなんだかわかりませんが、どこからともなしに言葉と理屈が溢れ出てくるんです。私ってこんなだったっけ?と思いながら、いやこれが本当の私なんだ!といった感じでどんどん語気が強くなっていくんですね。

>怒りによって、自分というものの新しい発見があったりしますよね。

確かにそうですよね。
人間関係でいうと、まず怒りで損うもの大きいですね。だけど、それを乗り越えられると、かえって仲良しになれたりする場合もあります。そうなると、今度はそのまま仲良くしていたいから、なるべく怒りの感情は抑えるようになりますね。以前ならば怒っていたようなことでも全然平気で、むしろ相手を尊重し大切にしようという気持ちのほうが勝ります。
ところが、それがもっと親密になってしまうと、今度は逆に遠慮がなくなってこれまたイケイケGOサインが出やすくなったりします。私の経験からすると、この場合がエスカレートしていくと最も危ないなぁと思います。そこで関係が破綻した場合は、なかなか修復できない場合もあるかもしれません。

人間関係って、その距離感って絶対に大事だなぁと思います。夫婦や親子、兄弟、恋人、友人、どの場合もそうかもしれませんね。
そんな人間関係を豊かに構築するためにも、自分の心の状態の観察こそ、とても大事なことなのですね。


>──宿習(しゅくじゅう)とか習気(じっけ)──
などと訳されます。どうしようもない生きるうえでの傾向性みたいなものですよね。

これは、「業」にも近いものでしょうか。業とは「心の傾向性」と言っていた人もいました。そういうのって確かにあるなぁと思います。

> ──自己観察、気づきの道──
であります。

人生において、最も長い付き合いは、自分自身ですものね。自分に最大の関心をもって心を眺めていく修行って、本当は一番人生を面白くまた楽しく、そして幸せに感じさせるものかもしれませんね。怒ってしまう自分に学ぶことと、そして発見、確かに大きいです。


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