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素朴な疑問
3352
:
マハー
:2007/06/12(火) 09:47:26
>>3338
独歩さん こんにちは
御返事遅くなってすみません。
>日蓮の“殺”もしくは“折伏”については、まず『開目抄』から見るべきでしょう。
『開目抄』は重要な御書のようですね。
しかし、それは止観、弘決からそのまま引用であって、日蓮自身が言っているのではないでしょう。そうなれば、日蓮だけに限定した問題ではないと思います。
>これらの引用は功徳との対比で述べられるわけではなく
止観では、雖与奪殊途俱令利益と功徳の対比を述べています。
>ここでいう大経とは涅槃経ですね
止観で指す大教とは、涅槃経のことで間違いないと思いますが、「執持刀杖乃至斬首」は
大般涅槃経の3巻後半から4巻の部分で、所謂、「有徳王の説話」の部分です。
最終的に殺されるのは、有徳王の方です。またこの止観の引用部分は巻10の終わりのところですが、「是折義」というのは、折=正法護持、 伏についてはその後に見られる衆生調伏でしょう。
よって、折伏=正法護持衆生調伏 の意であって、この引用から、折伏=殺 というのは飛躍しすぎだと思います。
>法華経を指すことに転換されるレトリック
う〜ん。なるほど。
この件よく気付きませんでした…。熟考したいと思います。
私がマターリさんに言いたかったことは、こう言った日蓮の論調は「救済志向」が底にあって論を展開してるのではないですか?という事です。破戒を容認してるのではなくて、破戒した者でも法華経によれば救うことが出来るとしているのでしょう。
>「本尊」義についてです。天台文献には、「本尊」語の用法がないこと、
仰る通りだと思います。
日本での本地崇拝が、その専一思想が進む中で根本崇拝にに変わっていったのではないだろうかと思います。
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