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素朴な疑問

190犀角独歩:2002/08/01(木) 12:23

孤独な迷子さん:

はじめまして。よろしくお願いいたします。
どうぞ、お心遣いなく「さん」付けでけっこうです、ここでは、みんなそんな感じてやってきましたので。私もそうさせていただきます。

ご質問のところは、私が極度の神経障害から、どうやって脱したかということでしょうか。そのように判断して、記させていただきます。

これには、何段階かありました。
私が症状を自覚したのは、10代の後半のことでした。倒れたのは26歳の時です。
救急車で運ばれ、検査入院して、この時、今でいう神経障害であることが告げられました。その後、悪化し、次々と拒食症も含めて、死ぎりぎりのところまで行きました。

このようなときは常に睡眠障害を伴うわけで、私も例外ではなく、夜と昼とが逆転していました。このような1日の時間帯の狂いを直すのに、毎日の寺院参詣はよく働いたと思います。

当時はまだ、「心療内科」を掲げる町中の病院がなかった頃でしたが、住まいの近くの大学病院にはあったのです。そこで出会った先生が、私の改善にもっとも合っていました。ご存じかもしれませんが、森田療法というものです。これに自律訓練法を組み合わせて、3年ほどで快癒することになります。以来、15年以上が経過しました。2度と症状は起きていません。

いちおう、寺院参詣についても記しておきます。毎日、参詣するようになったのは昭和56年頃のことでした。既に御講には昭和54年頃から、気が向くと参詣はしていました。
56年から58年くらいまでは、ほとんど毎日のように参詣していました。その頃、父を喪い、独立したこともあり、いったん足は遠のくのですが、例の第2次紛争以降、約5年間は、まるで寺院に住んでいるように詰めっぱなしの状態になります。

実質数十世帯の小さな講中でした。しかし地域が東京でも創価学会の多いところでしたから、宗創問題が起きるや、怒濤のように脱会者が押し寄せてきました。講頭と一丸になって、数年間、寝食を忘れて、会報、コンピュータの導入、名簿、組織構築、会合運営方法の構築など、講中組織の整備に当たり、ようやくと形が整ったと思ったとき、元学会幹部であった人々がグループをなし、住職に日参して、私の人身攻撃が始まりました。結局、苦労してシステムができあがった段階で、元大幹部たちは、私はよけて、その席に座ることになりました。労せず出来上がったシステムの上に入れ替わったわけです。

結果的には、私自身が見切りをつける形で寺院を去ることになります。
その後、幸いにも、カルト問題と闘う多くの識者と知り合う機会を経、現在に至っています。結果的に寺院から脱却が私にとって、40年に亘った創価学会・石山への依存を断つことになりました。

いま振り返ると「拝み方を間違えると、かえって症状を悪化させることもあるよ」と呟くように言われた良医の一言。初めて会ったカルト研究科の大学先生に、帰り際に「じゃあ、先生がんばります」と私が挨拶したとき、「いやいや、違いますよ。頑張らなくて好いんですよ」とにこやかに返された一言。その先生が紹介してくれたカルト問題と闘う他宗僧侶の方とおっかなびっくり会ってみたら、石山で吹き込まれていたことと全然違っていたこと、ボランティアの現実に踏み込んでみてきたこと、多くの宗教問題に悩む方々に年間延べ1000人を超えて会ってきたこと、そんな流れの中で、私の神経は根治され、さらに精神的な健全性も獲得できたのだと思います。

ご質問の趣旨とずれておりましたら、お気軽に重ねてお問いかけください。


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