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素朴な疑問

1780顕正居士:2004/10/18(月) 18:36
「神天上(じんてんじょう)」

「神天上」の教義は日蓮宗のどの派にもありますし、これは日蓮自身に由来するものと考えます。『新池御書』
を特に後世の成立とみなす理由はありません。この思想は「神祇不拝」ではありません。日蓮は天照大神、
八幡大菩薩、千眼(浅間)大菩薩への信仰を抱いていました。ただし日蓮の基本の教義は聖道門を捨閉閣抛
(しゃへいかくほう)せよという法然を「一凶」とし、聖道門の中でも法華経(天台宗)を第二、第三と下す華厳や
東密を「誹謗正法」と批判します。鎌倉、室町の時代には仏教の勢力が強くなり、「本地垂迹」の配当が完成
して、神社の多数が仏教の各宗のどれかと習合しています。したがって「神天上」は「謗法の社」、大石寺日有
のいう「他宗の神社」への不参を述べたものと、後世は解釈されます。

「神仏判然令」によって神仏習合の旧習がほとんど一時に破却され、今日の我々は神仏の関係に疎くなって
います。「神天上」の教義からいえば、「判然」以後の神社は「謗法」(仏教内部の事柄)と無関係であり、不参
の対象ではありません。法華宗の寺院が勧請した社は天上に去るといえども「正直の頭」には宿る意義です。

神仏判然令、近代真宗教学、キリスト教ファンダメンタリズム(戸田城聖)などの集積の影響により創価学会の
神仏の関係に関する教義は特に異様であり、大石寺と訣別した大きな理由でしょう。しかし創価学会出身以外
の僧侶もこれを情緒的には変だと思っても、何が変なのかを的確にとらえられない、神仏関係史に疎くなって
いるとおもいます。


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