[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
素朴な疑問
1780
:
顕正居士
:2004/10/18(月) 18:36
「神天上(じんてんじょう)」
「神天上」の教義は日蓮宗のどの派にもありますし、これは日蓮自身に由来するものと考えます。『新池御書』
を特に後世の成立とみなす理由はありません。この思想は「神祇不拝」ではありません。日蓮は天照大神、
八幡大菩薩、千眼(浅間)大菩薩への信仰を抱いていました。ただし日蓮の基本の教義は聖道門を捨閉閣抛
(しゃへいかくほう)せよという法然を「一凶」とし、聖道門の中でも法華経(天台宗)を第二、第三と下す華厳や
東密を「誹謗正法」と批判します。鎌倉、室町の時代には仏教の勢力が強くなり、「本地垂迹」の配当が完成
して、神社の多数が仏教の各宗のどれかと習合しています。したがって「神天上」は「謗法の社」、大石寺日有
のいう「他宗の神社」への不参を述べたものと、後世は解釈されます。
「神仏判然令」によって神仏習合の旧習がほとんど一時に破却され、今日の我々は神仏の関係に疎くなって
います。「神天上」の教義からいえば、「判然」以後の神社は「謗法」(仏教内部の事柄)と無関係であり、不参
の対象ではありません。法華宗の寺院が勧請した社は天上に去るといえども「正直の頭」には宿る意義です。
神仏判然令、近代真宗教学、キリスト教ファンダメンタリズム(戸田城聖)などの集積の影響により創価学会の
神仏の関係に関する教義は特に異様であり、大石寺と訣別した大きな理由でしょう。しかし創価学会出身以外
の僧侶もこれを情緒的には変だと思っても、何が変なのかを的確にとらえられない、神仏関係史に疎くなって
いるとおもいます。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板