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六巻抄について
32
:
tokumei
:2002/03/05(火) 16:40
>>31
つまり、その対比は釈迦の法華経、天台の一念、日蓮の題目という関係です。
なるほど、ひとによって一念三千が違うのですね。
すると・・・一念三千とは宇宙に存在する真理なのでしょうか?それとも誰かが説いた仮説(教義)なのでしょうか?
本因の教主が存在すると考えなくては理解できないほど現在の科学者は混乱しています。
というのは、科学者は大体がキリスト教徒なのですね。この辺が科学の限界です。理解できないことは神の意志として片づけてしまうのです。もっとも、比喩的に神の意志というわけで、実際に神が居るのか、偶然の産物なのかは判断不能です。
たとえば、宇宙はホットビックバン理論で膨張を続けることがわかっていますが、宇宙が生まれる初期状態を生み出す確率は(100×10000の1)×100分の1(記述しにくい(笑) と言う確率です。つまり、宇宙爆発が起こっても、その宇宙が成長を続けて宇宙になる確率はそれだけすくない、極めて偶然性の高い産物で、ほとんどあり得ない確率です。
本因の教主が法であるか人であるかは存じませんが、私は生まれることが出来て有り難いと思います。
それはそれとして、この膨張の先には、膨張を続けるか縮小に戻るかまだ意見が分かれています。かりに縮小が起こるとして、縮小に反転すると、宇宙から時間概念が無くなってしまいます。これはどう言うことかというと、可逆性と非可逆性という問題で、ビデオテープの逆再生が可能である状態では、起きた事象が過去であるか未来であるかが判別できないのです。
何も知らないでビデオを見た人はどちら向きに回っているかわかりません。これは鶏が先か、卵が先かという問題です。
さて、そうすると本因の教主は過去の人なのか、未来の人なのか、わからないのですよね。これは今現在が久遠であるか末法であるか判別不能であることとよく似ていると思います。
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