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六巻抄について
31
:
独歩
:2002/03/05(火) 09:28
問答名人さん:
少しご無沙汰しました。
> 一念三千殆ど竹膜を隔つ
ご指摘を受けて、改めて「竹膜」が寛師教学でここまで強調されて、使われていることに改めて驚きを禁じえないところがありました。
かなり前にも記したことですが、「一念三千」というのは釈迦牟尼仏、法華経を説いただけでは闡明にならなかったのであり、結局、天台の出現を見て、世に現れた法門であるというのが“法華宗”としての聖人のお考えなのであろうと思います。つまり、その対比は釈迦の法華経、天台の一念、日蓮の題目という関係です。
ですから、法華経に寿量品が説かれても、その経文だけで読めば、一念三千が沈んでいることはわからないけれど、国土世間まで説かれるのであれば、もう、まさに竹の節目の間にある膜一枚ほどまでぐらいまで、経の文の上からは読めないけれど、迫っている、それほどのことを表すばかりの意味ではないのでしょうか。
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