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六巻抄について

10無明:2002/02/21(木) 12:16
独歩様

有難うございます。上記について拝見致しました。

執行海秀師の「日蓮の観心本尊抄に現れたる佛身観」から引用します。

「壽量品に現れたる本佛とは何ぞやと云うに、それはかの「諸法実相抄」に云うがごとき凡夫の当体を直ちに本佛と云うのではない。
それ(本佛)はあくまで我等凡夫の父なる客観の佛を指すのであって、しかもそれを本尊とするのである。
即ち、父子一体、佛凡一如の事一念三千の妙法蓮華経を説いた本門の教主釈尊こそ、久遠実成の本佛であって、我等の信仰すべき主師親三徳有縁の本尊である。」

「しかるに「諸法実相抄」「授職灌頂口伝抄」等においては無作顕本を論じて、観心の立場においては、客観の久遠本佛とは即ち自己主観の顕れであって、自己にほかならないと云うのである。
「本尊抄」においては、観心の場合、己心に客観の久遠本佛を具足することは説くも、これをもって直ちに自己即本佛なりと云うのではない。ただ観心の世界においては、客観の本佛が、自己と没交渉に在他のものとして存在するのでなく、自己の中に本佛が影現し、己心に本佛の顕現を味識するのであって、いわば本佛と自己との父子一体の関係を体認することなのである。
即ち観心本尊とは、客観の本仏を信仰の世界に自己との関係において見出したものと云うことができよう。」

「ゆえに「本尊抄」においては客観的な本門の本尊の外に主観的な観心の本尊を説くのではない。
従来、「本尊抄」によって己身本佛己心本尊を説くがごときは、観心をもって直ちに本尊と解したがためであろう。もっとも本抄に
   我等己心本尊五百塵点乃至所顕三身無始古佛。
と云い、また、
   佛既過去不滅未来不生所化以同体此既己心三千具足三種世間也。
と云う文によって、己心本尊を主張せんとするものである。
しかしこの文はあくまで在他の本佛の存在を認めた上で、これが自己の己心に具足することを述べたのであって、しかもかかる観心を直ちに本尊とするのでないことは、前述したごとくである。
即ちかかる観心は佛の悟りの世界に現れた事一念三千であって、これは本門の題目として信受すべきものなのである。」


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