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井戸端すれっど「山門前」
54
:
モモ
:2002/06/04(火) 04:52
(つづき)
>(5)日蓮の真筆の曼荼羅は結要の法体という点について、このように私はまったく考えていません。
これも失礼しました。ただ日蓮本仏論を表に出さないで御本尊が妙法蓮華経の法体である、と考える
ことはできないであろうか、と考えたまでです。結要付嘱の意義は釈尊から大聖人に妙法の法体を還
している、と大石寺は教えていると思います。
>曼荼羅は聖人の言を籍りれば「魂を墨に染め流した」ものであるのでしょう。けれど、紙幅である
>曼荼羅自体が法体ではなく、その法体に至る標として図示された、文字通り曼荼羅でしょう。
>この実在化された実体を直ちに法体という石山義は大乗仏教の空論から逸脱した器物崇拝という小
>乗仏教にもならない外道義であるというのが私の考えです。
>そもそも、法が文字に表せたり、形像に表現できようはずはありません。天台大師の「言語道断・
>心行処滅」の言を思い合わせるべきでしょう。表すことができない故にそれ覚知するために大師
>は止観を示し、聖人は唱題を教えたのでしょう。
私は御本尊は色心不二の法体というイメージを持つことができると考えます。一生成仏抄に
「夫(それ)無始の生死を留めて、此の度(たび)決定(けつじょう)して無上菩提(ぼだい)
を証せんと思はゞ、すべからく衆生本有(ほんぬ)の妙理を観ずべし。衆生本有の妙理とは
妙法蓮華経是なり。故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば、衆生本有の妙理を観ずるにてある
なり。文理(もんり)真正の経王なれば文字即実相なり、実相即妙法なり。唯所詮一心法界
の旨を説き顕はすを妙法と名づく、故に此の経を諸仏の智慧とは云ふなり。」
とあります。文字即実相、実相即妙法というのですから御本尊の主題の御文字を法体と拝す
ことができると考えられます。
あと「文字通り曼荼羅」とはどういう意味でしょうか。そもそも曼荼羅とはいかなる意味で
しょうか。
>なお、上述とは別に
>
>> 「日蓮本仏論は『大石寺の相伝』の中でしか論じられない、
>>相伝がなければ本仏論を示すことはできない」ということを再確認
>
>この意味は私には取りかねますが、日蓮本仏論の原型は先にも記したとおり、
>天台本仏論なのであって、また、日蓮本仏義の緒はむしろ、眼師、教師に求め
>られるのではないでしょうか。
>
>それにしても「相伝がなければ本仏論を示すことはできない」とは一体いかなる意味でしょうか。
独歩さんの立場でいえば
「もし現在の大石寺に相伝があると仮定して、その相伝があってこそ本仏論が示すことができる」
という程の意味です。だからこそ相伝とはなにか、と問うているわけです。唯受一人の相伝がな
ければ誰が御本尊を書写するのでしょう。相伝を認めないということであればだれでも御本尊を
顕わしていいのでしょうか。
そういえば宮沢賢治氏の「雨にも負けず」の手帳の中に曼荼羅がありました。私は何かで見たこ
とがあり、「謗法だ!」とそのときは思ったのですが、きっと法華経への信仰の発露として書か
ずにはいられなかったのでしょうと今では思っています。
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