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井戸端すれっど「山門前」
51
:
無徳
:2002/06/03(月) 16:55
独歩さん:
菊水護国さん:
横レス失礼します。
御書の真偽に関して真偽未決とされているものは、その道の専門家と言うべき方々
が研究探査しても現在時点では真偽ともに確たる証拠がない故に未決とされている訳
ですから、我々が真偽を決定することはなかなか出来得ないと思われますが如何なも
のでしょう。
御書の内容から中古天台本覚論的である故を持って偽書と決めつける方もいますが、
日蓮仏法は本覚論的理解なくしては画竜点睛を欠くのではないかと私は思っています。
これらを論じ始めると切りのない論議に陥りがちですので困りますが、どちらにし
ても富士の流儀とも言える「日蓮本仏論」といったあくまで「信」に属する事柄を、
客観的に証拠を持って論ずることは出来得ないのではないかとも思います。
まして、日蓮御坊が直接的に書かれた御書において自らが本仏であるとは申される
はずもありませんでしょうから。したがって、いわゆる相伝書と言われるものは日蓮
御坊直筆のものは無いと思われますが、直筆でないから偽書だとも言えないわけで、
弟子たちが筆記したものであっても日蓮御坊の講説を直接記したものであれば直筆と
同格と考えても差し支えないのではないでしょうか。
しかし、どちらにしても日蓮本仏論が天台本仏論の焼き直しとする独歩さんの理解
には、私としては納得できないものがあります。先にも書きましたが日蓮御坊を本仏
と観る立場はあくまで「信」に属することであり客観的には論じ切れるものとは思わ
れません。
折角ですので、ここに御書の中に御坊自らが末法の正主(本仏)とも取れる言説が
ありますので、それを記して独歩さんのご意見をお聞きしたいと存じます。
法華取要抄に
問て曰く 法華経は誰人の為に之を説くや、
答て曰く 方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り、上より下に向ひて次第に之を読めば、第一は菩薩、第二は二乗、第三は凡夫なり、安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば、滅後の衆生を以て本と為す、在世の衆生は傍なり、滅後を以て之を論ずれば、正法一千年・像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す。末法の中には日蓮を以て正と為すなり、
問て曰く 其の証拠如何。
答て曰く 況滅度後の文是れなり、
疑て云く 日蓮を正と為す正文如何、
答て云く 「諸の無智の人 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん」等云云、
問て云く 自讃は如何、
答て曰く 喜び身に余るが故に堪へ難くして自讃するなり
観心本尊抄に
迹門十四品の正宗の八品は、一往之を見るに二乗を以て正と為し、菩薩・凡夫を以て傍と為す。
再往之を勘ふれば凡夫・正像末を以て正と為す。正像末の三時の中にも末法の始を以て正が中の正と為す。
問て曰く、其の証如何ん。答て曰く、法師品に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し、況や滅度の後をや」宝塔品に云く「法をして久住せしむ、乃至来れる所の化仏、当に此の意を知るべし」等。勧持・安楽等之を見るべし。迹門是くの如し。
本門を以て之を論ずれば一向に末法の初を以て正機と為す。所謂一往之を見る時は久種を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟と為して、本門に至て等妙に登らしむ。
再往之を見れば迹門には似ず、本門は序正流通倶に末法の始を以て詮と為す。
在世の本門と末法の始は一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種なり。彼は一品二半、此れは但題目の五字なり。
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