[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
井戸端すれっど「山門前」
3
:
バックアップ
:2002/02/19(火) 20:09
110 名前: いちりん 投稿日: 2002/02/17(日) 14:42
息抜きのつぶやき話ですが──。
「経典」って、そんなに大したものなのかどうか。
かつての中国や日本からしてみると、「天竺」というような、神秘な神さまの国のようなイメージで、遠くてエキゾチックで、わけがわからんから。それで、すごいと魅惑されたのかも入れない。
さらには、漢訳化されて来たから、中国コンプレックスの強い当時の日本の知識人は、それだけですごいと思ったのかもしれない。
こんなことも考えたのですが──、
たとえば、日本の民話の「竹取物語」とか「こぶとり爺さん」とか「浦島太郎」みたいなものが、いくつか、すごい教えだとして、どこかの国に行き渡る。そして、ある国で、翻訳されて、またどこかの国に伝わる。
そこの国では、うわあ、これはすごい教えだ。
竹の中の女の子が、月にのぼるなんて、なんてすごい教えなんだ。これは、拝まなくちゃいけない、なあんて、かぐや姫が本尊になって、なむなむと、唱えていたりするかもしれない。
それで、小難しいことを論ずる人たちが、あーだこーだと論争したりして。
竹のなかの姫とは、仏性をあらわす。
竹を割ったのは、九界即仏界をあらわして、これは三重の秘伝があって「翁と姫」との過去世に渡る因縁あかされている。そして、じつは文底には、翁こそが姫の師匠で、それが「殆ど竹膜をへだつ」のであり、どうじゃこうじゃ。。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板