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関東大震災と朝鮮人虐殺
161
:
コピペさん
:2003/12/06(土) 01:32
>>159
>> ちなみに強制連行についちゃ、民団自身の調べでこの結果だ。
>>
http://members.xoom.virgilio.it/alice275193/zainiti_raireki.htm
>> 現在の在日韓国・朝鮮人の大部分は強制連行と無関係
>ふむ。グラフを見ると、「徴用」という名の強制連行が13パーセント、
>「経済的理由」つまり自分が住む土地でも生活できなくなったのが
>39パーセントもあるわけだ。おどろくべき数字ですね。
>わざわざ「当方の主張」を証明する資料のご提供をありがとうございます。
「 1941〜45年の徴兵、徴用と答えた76人も、その大部分は記憶違いというよ りほかはない。徴用が実施されていた1944年9月以降終戦までの一年分だけを 前期の方法で算出すれば16人、すなわち全体の1.5%にしかならない。」
都合の悪いところは見えないんだね。
それと、戦後の帰国事業でただで帰れたろうがよ。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/6646/vol8.html
第一は、昭和十四年から開始された朝鮮人内地移送計画により渡日した者とその子孫は現在の在日の中にほとんどいないという点だ。終戦時の在日人口は約二百万人であり、そのうち移送計画による労働者は三十二万人に過ぎない。占領軍の命令によって日本政府は引き揚げ船を準備し、運賃無料、持ち帰り荷物制限二百三十キロまでという条件で帰国させた。昭和二十一年末までに約百四十万人が朝鮮に帰っていき、自分の意志で残留を希望した約六十万人が日本にとどまった。引き揚げにあたっては移送計画により渡日した労働者が優先とされている。結果として、三十二万人の「連行者」はほとんどこのとき帰国している。このことは在日一世の渡日時期調査によっても裏付けられている。
第二は、そもそも上記の朝鮮人内地移送計画の実態が「強制連行」などというものではなかったという点だ。計画期間中、在日人口は百二十万人増加する。各種統計を総合すると、このうち出稼ぎ渡航者とその家族が六十三万人で過半数となる。戦時中、労働者不足が激しかった内地に向かい朝鮮人は自分の意志で大量に渡航していたのだ。前記の三十二万人が終戦時における戦時動員労働者である。残り二十五万人は「官斡旋(あっせん)」「徴用」で渡日した後、現場を逃走し条件のよい飯場などで働く「自由労働者」(当時の用語)となった者である。昭和二十年内地における朝鮮人土建労働者を見ると、計画による動員労働者一に対して自由労働者七の割合であった。日本政府は移送計画実施期間中も内地に密航した朝鮮人を取り締まり朝鮮に送り返していた。こちらこそが本当の強制連行だ。「官斡旋」「徴用」は出稼ぎで建設現場などで働こうとしていた朝鮮人労働者の働き先を炭鉱、金属鉱山など軍事産業に転換させるというものであり、それは全渡日者のうち四分の一だけしか対象にできず、ほぼ失敗した政策だったのだ。
「経済的理由」ねぇ?
要するに日本のほうが豊かだからそっちに住みたかったわけでしょ。
朝鮮戦争なんかあったから日本に密航して逃げてきた人も多数。
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