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門下・門流史関係
80
:
直人
:2004/08/10(火) 23:39
■宗史雑書(7)
〔創価学会における教学の変遷について〕
創価学会は昭和5年11月18日に創立された。当時は創価教育学会と云い牧口常三郎氏の
価値論を教義としていたようである。牧口氏は尋問調書において次の如く述べている。
問 創価教育学会の指導理念及目的は
答 (中略)本学会の目的とする処は日本国民の一人でも多く本会に入会せしめて日蓮
正宗の信仰を基礎とした私の価値論を認識把握せしめて、人生生活の安穏幸福を招来
せしめるにありますが、価値論の教義的具体的指導理論は後で詳細に申上ます。
(『牧口常三郎全集』[第三文明社]10−P185〜186)
また、牧口氏は、
私は正式の僧籍を持つ事は嫌ひであります。僧籍を得て寺を所有する事になれば、従っ
て日蓮正宗の純教義的な形に嵌った行動しか出来ません。私の価値論をお寺に於て宣
伝説教するわけには参りませんませんので私は矢張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念
に価値論を採り入れた処に私の価値論がある訳で、此処に創価教育学会の特異性があ
るのであります。(『牧口常三郎全集』[第三文明社]10−P188)
と云うのである。「純教義的な形に嵌った行動しか出来ません」とは牧口氏が価値論を大石
寺教義とは異質なものであると認識していたことを如実に伝えるものである。牧口氏は重須
本門寺にも参詣していたと伝えられ(
>>7
>>11
)、牧口氏は価値論という自説を宣教できる
のであれば何処でもよかったのかもしれない。であれば、早川達道師が「あなたの考えは
日蓮聖人の教えとは違う」として牧口氏の重須入信を拒否(
>>11
)したのも頷ける。
牧口氏の本仏観は如何なるものであったか断定し難いものがあるが、尋問調書において、
正法、像法の二千年間を過ぎた所謂末法万年の時代で各勝手気儘に争ひに耽つて居
るから「闘諍堅固の時」とも云ひ、又釈尊の教への全く消滅した時代でありますから「白
法隠没」とも申しまして、濁悪雑乱の時代で又此の末法時代の初期五百年の間に法華
経は弘まると予言されています。(『牧口常三郎全集』[第三文明社]10−P193〜194)
と云うあたりは、宗祖本仏論者であったことを窺わせる。けれども、戸田城聖氏は昭和25年
11月12日、創価学会第五回総会において次の如く述べている。
牧口先生なきあと、第二代会長も、いまだ空席のおりに、わたくしは釈迦の教法たる法
華経を、当学会の指導理念としていたことが、わたくしの重大なる誤りであったことに、
気がつきました。(『講演集』上−P44)
これによれば、少なくとも戦後の数年間は日蓮仏教ではなく釈尊仏教を創価学会の教義
としていたようである。
ところで、価値論は牧口氏の初版本と昭和28年、戸田氏によって補訂されたものがあり、
補訂版には、
釈迦滅後二千年においては、釈迦の法華経も、天台の理の一念三千も、その功能をお
よぼさないのである。いかんとなれば、釈迦滅後二千年後の衆生は、本未有善といって、
釈迦仏法にも他の仏にも、縁を結ばない荒凡夫の衆生であるからである。ここにおいて
末法の本仏たる日蓮大聖人は、凡夫のお姿として末法に出現して、一切経の哲理をじ
っと見つめられたのである。しこうして久遠元初の自受用身であり、上行菩薩の再誕で
あることを自得遊ばすや、ここに一切衆生を幸福に導いてゆく本尊を出現せしめたので
ある。(『牧口常三郎全集』[東洋哲学書院]1−P343)
とあるが、この記述は初版本には見られない。牧口氏の著書には僅かに宗祖本仏思想を
伝えるものがあるが、しかし、草創期においては本仏観は今日の如く確立していなかった
ものではないだろうか。真実、本仏観が確立していれば戸田氏が釈尊仏教を用いるとは考
え難いからである。
[この稿、続く]
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