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御遺文関係は此方で

51空き缶:2004/01/20(火) 23:27
皆さん、こん○○わ。

 管理人さん、閲覧できてよかったです。ダウンロードするには「gif画像」として表示しなければいけません。
 私は、1日1巻のペースでダウンロードしていこうかと思っています。
身延山の本尊論資料など、個人的に興味のある資料が結構あり、時間を見つけてはダウンロードしようかと思っています。

 立正安国論広本の小川泰堂居士奥書について、富士方の見解と正反対であったため、いずれ書込みしようと思っていましたが、だいぶ間があいてしまいました。

 立正安国論略本の真蹟は、中山法華経寺所蔵の八木氏が日蓮聖人に願って書写して戴いた日蓮聖人による転写本が有名であり、広本の真蹟は京都本圀寺所蔵です。
 広本は主題の下に「沙門日蓮勘」と書かれています。中山本は、幕府に提出したものと内容的には同じ「略本」ですが、門下に与えた転写本であるためか主題の下は空白になっています。
 そこで、幕府に提出した「立正安国論」はどのような御名乗りであったかを知る手がかりとして、玉沢妙法華寺所蔵の六老僧の一人日興師の写本が上げられます。この玉沢本(日興写本)は主題の下に「天台沙門日蓮勘之」と入っており、日蓮聖人が幕府に立正安国論を提出されたときには「天台沙門」と名乗られていたことを、うかがい知ることが出来ます。
 参考までに大石寺にも、立正安国論日興写本が伝わっていますが、こちらは「天台沙門日蓮勘之」とは入っていません。しかし、興風談所の日興上人全集によれば当本は「第一紙は遺筆」となっており、「天台沙門」という名乗りに敏感な富士方としては、この御名乗りの入った第一紙を改ざんした可能性を否定できません。
 富士方では、広本は身延期以降に元本(略本)に文言を添えられた、「建治の広本」に代表されるように、あとから執筆されたものとしています。この説の根拠は、日興監修重須初代大学頭日澄執筆と伝えられる、「富士一跡門徒存知事」によります。(本文参考→http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu1_6.htm
 この「富士一跡門徒存知事」には、「五一の相対」が書かれており、重須第2代大学頭日順の著書と伝わる「五人所破事」(http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu2_1.htm)とも通じるものがあります。つまり六老僧の内、日興以外の五人は「天台沙門」と名乗って幕府に申状を出しているから「謗法」の輩だとしているのです。
 このような問題を研鑚する上で、日蓮聖人ご自身の御名乗りを時系列にて整理したいと思いました。そこで「三部経肝心要文」のことが出てきたわけです。
大変長くなってしまいましたので、この辺で失礼します。


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