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本門の戒壇について
95
:
直人
:2004/02/21(土) 07:44
《概略・上代興門教学史の諸問題》
A、相承書の件
一、種々の史料精査の結果、二箇相承の成立時期は宗祖滅後60年代に重須
において偽作されたものである。
二、二箇相承偽作の背景は宗祖滅後53年より起こった西山との紛争である。
その対立過程で日興正嫡思想・血脈相承思想が形成された。二箇相承はそ
うした思想の集大成とも云うべきもの。こうした対立過程で偽作(換骨奪胎)さ
れたものが「日代置状」「大内文書」である。
B、本門戒壇之願主弥四郎国重の件
一、「本門戒壇之願主弥四郎国重」云々は日行師以降の添加(
>>94
)である。
添加された理由は定かではない。しかしながら、日行師の時代にはすでに、二
箇相承が成立していた。
二、二箇相承には「国主此の法を立てらるれぱ富士山に本門寺の戒壇を建立
せらるべきなり」と記されている。二箇相承が重須によって偽作された文書であ
るならば、「本門寺の戒壇を建立」とは当然、重須思想となる。それゆえに、「本
門戒壇之願主弥四郎国重」云々を添加して重須に対抗したものかもしれない。
C、宗祖本仏思想の件
一、宗祖本仏思想がはじめて見られるのは日順師の著述である。日順師の時
代と云えば、日道師滅後である。日時師・日影師は武州仙波において中古天台
恵心法門を修学している。
二、日道師以降、釈尊本仏思想から宗祖本仏思想へと変遷した背景には日順
師による宗祖本仏思想の影響があったものかもしれない。かくして、大石寺は中
古天台恵心法門を基盤として宗祖本圧思想を形成してゆくようになったものかも
しれない。
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