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本門の戒壇について
130
:
直人
:2007/02/15(木) 01:36:13
JIN@霊○会さん、はじめまして。
>牧口・戸田氏の時代は大日本帝国憲法下での指導
牧口常三郎氏は戦時中、獄中において亡くなっています。獄中調書の中で王仏冥合について触れたことはありますが、私の管見の限りでは牧口氏は戒壇論を展開していません。創価学会の歴史の中で戒壇論をはじめて展開したのは戸田城聖氏でした。戸田氏は昭和25年の総会で国立戒壇を建立すべきことを論じます(
>>112
)。
それから、大日本帝国憲法と日本国憲法ということですが、日本国憲法は昭和21年11月3日公布・昭和22年5月3日施行ですから、戸田氏の戒壇論は日本国憲法施行後3年、つまり、日本国憲法下での指導となります。そしてこの指導は大体、昭和40年に入るまでは機関紙誌において見られました。昭和40年頃から改竄作業が始まり、初の戸田全集では「国立戒壇」が「本門戒壇」と書き換えられています。
余談となりますが、大石寺が発行している印刷物には今なお原本に忠実に「国立戒壇」の語句が用いられていますが、創価学会が発行する印刷物はそれが会長指導であっても「本門戒壇」と改竄してしまっています。
ちなみに「御教書」が建築許可証というのは阿部日顕師が未だ教学部長時代に論じたことですが、これは行き過ぎたとして近年、その説を取り下げています。
「あのなかでは、王法や勅宣・御教書に対する解釈を述べるなかで、「建築許可証」というようにも書いてしまってある。これは当時の在り方において、学会からの具申的な勧誘もあり、私がそのように書いてしまったのです。けれども、今考えてみると、やはり今は、勅宣・御教書は、その現代的な拝し方としても、そういう軽々しいものとして考えるべきではなく、もっと深い背景的意義を拝すべきと思うのです。」(『大日蓮』706−p54)
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