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本門の戒壇について
103
:
直人[TRACKBACK]
:2004/04/27(火) 14:28
>>98
の続き
富士戒壇思想の初見は日興上人であることを
>>98
に記した。しかし、日興上人以降の
興門においては戒壇論が論議されていないようである。それが史料の散逸によるものか、
或いは、実際に戒壇論議が行われなかったのかは定かではない。大石寺中興の祖と仰
がれる日有師も戒壇論には何ら言及しておらず、興門において戒壇論が再び見られるの
は日教師の「類聚翰集私」においてであった。
天生原に六万坊を立て法華本門の戒壇を立つべきなり(富要2−P323)
かかる戒壇思想は純粋な大石寺教学とは云い難い。否、むしろ、かかる戒壇思想は要
法寺教学と云うべきであろう。なぜなら、六萬坊思想は「百六箇抄」後加文に見られるから
である。
四大菩薩同心して六萬坊を建立せしめよ、何れの在処為りとも多宝富士山本門寺上行
院と号す可き者なり時を待つ可きのみ云云。(宗全2−P29)
この後加文を大石寺思想とすることは決してできない。なぜなら、「多宝富士山本門寺上
行院」とは大石寺ではなく、要法寺の前身である上行院をさすものであるからである。したが
って、「百六箇抄」は宗祖滅後100年代に尊門において偽作され、それが文明十一年、日教
師に相伝されたことによって日教師の著書に「百六箇抄」の如き戒壇思想が見られるのであ
ろう。
六萬坊・天生原戒壇思想は顕正会の根本教義とも云えるがかかる戒壇思想の根源が要法
寺義である以上、顕正会の戒壇論は何ら根拠をなさないものとなろう。とは云え、要法寺義を
継承―もっとハッキリ云えば要法寺亜流なのは大石寺そのものかもしれない。例えば、空き缶
氏が云われるところの、
この板本尊を代代受継いでいる大石寺の管長は「生身の釈迦・日蓮」なんだそうです
(
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/3171/1070036052/r13
)
という思想は決して大石寺本来の立義ではない。かかる思想の根源は要法寺である。大石寺
が9代100余年間にわたって要法寺から貫首を迎え入れていたことはあまりにも有名である。要
法寺出身の日舜師が大石寺19代として貫首職に就こうとした際、若年だったため、大石寺檀徒
が反発した経緯がある。その際に日舜師援護策として法詔寺日感師(要山僧)が、
其の器量の善悪を簡ばず、但相承を以って貫主と定められ候、故を以つて一山皆貫主の下
知に随い、貫主の座上を蹈まざる事悉く信の一字の修行にて候釈迦日蓮代代上人と相承の
法水相流れ候えば、上代末代其の身の器は替われども法水の替わる事少しも之れなく候、
此くの如く信ずる時は末代迄も仏法松柏の如くにて、常に寺檀仏種を植え、三宝の御威光鎮
えに於閻浮提広令流布は疑いなき事に侯、此の旨を相知り侯上は如何様の僧貫主となると
も相承伝受候上は、生身釈迦日蓮たるべきこと開山の御本意一門徒の肝要にて御座候
(富要5−P271)
と述べたのが発端である。かく云うと「御本尊七箇相承」の「代々の聖人悉く日蓮」との文を持ち
出してくる人がいるだろうがそれは通じない。そのことの詳細は『大石寺教学の研究』所収「御本
尊七箇相承の考察」において記しておいた。(この稿続く)
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