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お墓について

1野菊:2003/08/23(土) 11:13
サイトに機械式のお墓のページがありましたね。
先日、青山の霊園が高額で40年ぶりに公募と出ていました。
TVの取材では、1億でも出す。と話していた方がいました。
そんなお金があるなら、イラクやアフガンの人道支援にでも
使った方が、成仏できるのにと思いましたが、みなさんは
ご自分のお墓に関してどうお考えになっていらっしゃいますか?
私は合安式で充分と思いますけど−−。

2管理者:2003/08/23(土) 13:41
新スレッド有り難う御座います。
私自身が「お墓について」とスレを立ててはどうかな?と、思案してました。
皆さんのご意見をお待ちしてます。
TVでの1億円でも安い。とのインタビューには、私も驚きました。

3石のだるま:2003/08/24(日) 06:31
野菊さんの最大の関心事はこれなんですかね?私も一筆。
葬式とかお墓に関心を寄せるのは人間だけで他の動物達は一切関心を持たない。
にも関わらず世代の交代という生物としての責任はきちんと果たしている。
死体を野原に放って置いたからといって、彼等に神が罰を与えたなんて話は聞かない。

シベリアの原野で人知れず死んでいった人と、多くの金をかけ多くの人間に集まってもらって死んでいった人間と
結果において同じか否か?私は死体の側から見れば同じだろうと思っている。(無念の思いという心を別にすれば)

お墓は残された者のメモリーでしかないというのが私の認識である。そのお墓がどんな形であるかというのは
別に問題ではない。それまで遊んでいた金が動くのだから、商売につながる人にとっては
一億でも二億でも問題はないと言うであろう。(私には縁なき世界であるが)

最近は個性あふれるお墓が作られるようになったが、技術の発達とはいえ、お墓も目を楽しませてくれる
時代になったのかと思う昨今である。

4管理者:2003/08/24(日) 14:17
管理者として、野菊さんのご意見も一理ありますし、石のだるまさんのご意見も一理あります。
個々の認識上、様々なご意見が有るのは当然です。
皆さんも遠慮なく、書き込みしてください。

今、サーバーのトラブルで入れなくなりました。がどうにか復旧しました。

5野菊:2003/08/25(月) 19:46
>野菊さんの最大の関心事はこれなんですかね?
よけいなお世話でございます。

インドの仏教が滅んだのは何年か知っていますか?
イスラム勢力の進行を受けて最後の寺院が破壊されたのは13世紀だった
と思います。確か日蓮聖人がお生まれになる10年ほど前だったような。
で、当時、ヒンズー教寺院も同じ目にあったのですが、葬儀や結婚式を
とりおこない生活に密着したいたヒンズーは住民の協力で復活し、生活と
疎遠であった仏教は擁護者も無いまま滅んでしまった。と何かの本で読み
ました。お墓そのものの形式は仏様と実際には縁が無いとしても、死という
ものの儀式や死者を祭る形式は宗教と無縁ではないと思います。
また、仏様への供養の第一歩は身近に亡くなられた人への供養だと思います。
お墓の意義を考えることは重要だと思いますよ。

6管理者:2003/08/26(火) 09:17
野菊さん、レス有り難う御座います。
大聖人も、「まづ臨終の事を習て、後に他事を習うべし」で、死に就いて真剣に考えるよう、ご教授下さっています。
野菊さん、またカキコを宜しくです。

7管理者:2003/08/26(火) 09:32
あっ!追伸、
野菊さん、此の板のことでの助言、ご忠告有り難う御座いました。
以上でつ(^.^;

8野菊:2003/08/26(火) 10:48
こちらこそ<(_ _)>
日蓮主義として、おかしな発言は断固として削除なりなんなりと管理人さんが
処置してください。私の発言もどうように掲示板にふさわしくない行為があれば
処置してくださいね。門下を名乗る以上、教義を誤解させるようなものは許しては
いけないと思います。

9管理者:2003/08/26(火) 10:53
野菊さん、重ね重ね有り難う御座います。
肝に銘じまして、今後の指針とさせていただきます。

10川蝉:2003/08/26(火) 15:28
墓石について、だいぶ以前ですが次のような事がありました。
隣家の人が「親戚で自然石の墓石は良くないと耳にしたので普通の墓石に変えることにしたが、もとの石の処分はどのようにしたらいいですかね」と訊ねられました。聞くと大きな立派な石らしいので、「正面を削ってお題目を彫ってくれれば、教会の玄関脇に宝塔として置けるので、そうして下さいな」と頼みました。

道場の月例信行に来てくれた師匠(既に故人)が開眼のお経をあげてくれました。そのあとで、師匠が「年寄りの男女が見えたが、これは古い石だね」と云いました。
他の信者さんや師匠にも墓石を宝塔に直して奉納してもらったと云うことは一言も語って無かったのです。

その宝塔の裏には、正面に刻まれてあった年寄り夫婦の俗名と追善菩提の為と小さく刻んでおりました。

墓石として拝まれて石は、故人と通じるよすがのものとなっているのだなと痛感しました。

その後、都合でその宝塔は処分しましたが、片付けを頼んだ石屋さんが、「魂抜きはすんでいますか?」と幾度も気にしていました。
石屋さんも職業柄、墓石や塚石や宝塔などかたづけるときには十分注意し無礼のないようにと、教えられていたのでしょう。

11野菊:2003/08/27(水) 08:41
人の思いや信心によって無機質なものから変化するのですね。(゜o゜)
墓石にして、それですから、毎日拝む御本尊や宝壇はいわずもがなですね。
これから毎日忘れずに供養しよ。(笑)

12管理者:2003/08/27(水) 09:25
川蝉さん、野菊さん有り難う御座います。
私も、墓石の入魂・魂抜きも何度か行ったことが有ります。
昨年、当方の納骨堂にお骨を納めるときに、お施主さんの宗旨は禅宗ですので禅宗のお坊さんを手配しました。そして読経が始まるときに「入魂は済んでいるのですか」と聞きました。私はとっさに「はい」と答えてました。読経中「納骨堂、ましてお骨納めでお清め・入魂等をするものなのか?」とあれこれと思案してました。もしかして、墓石型の納骨堂の為にその様に質問をしたのでは?と思いました。

13川蝉:2003/10/28(火) 14:06
スレッド違いとも思いますが、霊現象の話を一つ。

昭和35・6年ごろの話です。
信徒のNさんの娘さんが自殺しました。
I子さんにお見合いを勧めた母親のNさんは、はじめて、すでにI子さんに意中の彼がいることを知りました。
母親のNさんに「彼との交際を止めて、見合いしなければ親子の縁を切る」と強く云われたI子さんは、一人で箱根の方で睡眠薬を飲み、一週間ほど後に死亡してしまいました。

「I子さんが急性肺炎で死んだ」と知らせを受けた私の母は
お通夜に焼香に行きました。霊前に座ると直ぐに「普通の死ではない」と母の直感が働き、問うと「実は自殺です」と答えでした。

それから、しばらくの間は毎月命日に母が回向に行くようになりました。
未だ死んでから、そんなに過ぎてない頃の事ですが、お経に出向いた母にNさんが「交際していた相手が今日もお線香を上げに来てくれたが、お腹が痛くなったといって早々に帰ってしまった。いつもそうなんです」と云うので、「I子ちゃんの生き死霊でも受けているのだろう」と云いながら、お経を始めたところ,
母の胸に
「おばちゃん、いま私の生き死霊と云っていたけれど、私が自分で取った道だから、だれも怨んでいない。自分の気持ちを書いた物が仏壇の左側に入っているから、お経の後読んで下さい。お経のお陰で、たとえると自分は十万億土の半分ぐらいに来たような状態だから安心して下さい」と、I子ちゃんが語りかけて来たそうです。
(I子ちゃんは小さい時分よりの習慣で母の事をおばちゃんと呼んでいました。)
お経後にNさんに聞くと、「相手がI子との思いでの大学ノートをしまってあったが、結婚相手に見つかった。(相手を心配した上司の勧めもあって、相手は直に結婚したのでした。)承諾を得てから処分しようと思うのだが、と持参したので、もらっておくと云って、仏壇の引き出し入れていた」と、取り出したノートにあった遺書を読んだところ「自分は誰も怨んでいない」という気持ちがつづられていたそうです。

I子ちゃんの毎月の命日には午前十時の信行にNさんがI子ちゃんの塔婆供養に参詣し、午後から母がNさん宅へ回向に行くようにしていました。
その日は午前中に母が他所に行く用事があったので、十時の信行の導師は私がやりました。
内心憎からず想っていたI子ちゃんに回向するとき、自然と気持ちを込めました。Nさんが持参した供物は大福でした。
お経の後、大福を食べたところ、一口目はほとんど味を感じませんでした。
そして午後に母がNさん宅に回向に行き、I子ちゃんの霊の語りかけを感じたのでした。

I子ちゃんの霊が母に語りかけたさい、
「今日の道場でのお経は今までで一番有り難かった」
とも語っていた事を母から聞いたとき、内心憎からず想っていた私の気持ちを「知った」と云う意味を籠めた言葉であろうと受けとりるとともに、やはり回向のお経はいい加減な気持ちで読んではならないなと強く心に刻みました。

14管理者:2003/10/28(火) 14:17
川蝉さん、今日は。

貴重な体験談を有り難う御座いました。
>のお経はいい加減な気持ちで読んではならない
同感です。私も、目には見えませんが「此処に居られるのだ」との気持ちで拝読してます。

15れんげ:2003/10/28(火) 15:40
川蝉さん、管理人さん、ご法務ご苦労さまで御座います。m(__)m
貴重な体験談を投稿くださり有り難うございました。
私も感受性が強く、観じる方なので、お話よくわかりました。。。
また、いろいろな信感、ご体験談お聞かせ下さいませ。宜しくお願い致します。m(__)m 合掌

16川蝉:2003/12/19(金) 11:39
此経難持の偈に関係する臨死体験の話。

了義院日達上人は約320余年前の生まれの人。中村檀林の化主の後、京都本圀寺法主となり、在職八年にて職を譲り、鷹峯の草庵にて著述講説に従事された。
上人の随筆集「鷹峰群譚」に紹介してある実話を紹介します。


越後の国、頸城郡下町邑(くびきのごおりしもまちむら)に坂口助右衛門(さがぐちすけうえもん)と云う者有り。其の曾祖母、法号を妙受と言う。年三十三歳にして俄然として逝す。
翌日に至って蘇生す。合家(集まっている家族親戚の意味か?)驚喜す。
すなわち語って曰く、
『我れ死して広野を行く、忽焉として一人の高僧来たり、告げて曰く「汝未だ其の期に至らず。まさに急いで還るべし」
母答えて曰く「わらはは恒に多病なり。再び還らんことを欲せず。願わくば善処に引接したまえ」
高僧の曰く「此の薬を汝に与へん」
母喜んで手を挙ぐ。
高僧即ち薬を以て其の掌中に摺り入れ告げて言わく
「病もし起こらば、汝が掌中を嘗めよ。患ふる所、即ち癒へん」
高僧また告げて曰く「汝に要偈を教へん。誦持して忘るること莫れ」
因って其の文を誦す。此くの如くして蘇る。』

母、時に覚めて後、なお其の文を憶持して一字も忘れず。しかれども何れの経の文と云うことを知らず。
隣邑の僧俗に尋訪するに、知る者無し。
或る人の曰く
『法華宗の僧に値って之れを尋問すべし』
すなわち法華の僧に問う。即ちこれ宝塔品の文、此の経難持六行の偈なり。因って其の僧、此の経の功徳を讃歎す。合家の親族信心随喜し、即座に二十四人、権を改め実に帰す。
しこうして後に、近村伝聞して希有の心を生じ、改宗受法する者百余人なり。
妙受甦生の後三十余年の寿齢を延ぶることを得て、寛永十九年十二月十六日七十歳にして遂に逝す。
始め妙受、其の子助右衛門、深く其の処に一宗の精舎無きことを嘆じ、即ち誓言を発して之れを営建せんとす。
享保八年(1716年)に至って其の曾孫助右衛門、大願此に遂げ、之れを公所に訴え、廃寺の基跡を求め得て、我が宗の精舎を草創し、大栄山光明寺と号す。同国高田常顕寺玄妙日中を延(ひ)いて開基の祖と為す。
次の年夏五月、住持日中、遠く洛陽に来たり、即ち本圀寺の末流に属す。
(中略)
妙受宿因の薫ずる処、卒亡の中に此の偈を感得し、蘇生して忘れず、此の奇特のこと遠近を感動し、捨邪帰正する者、数百人なり。亦復(またまた)志願虚しからずして其の曾孫に至って新たに精舎を建て、法灯をして永く相続せしめ、特に吾が山の末流と為ること、並に是れ此の経難持の功用に由る。


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