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お墓について

16川蝉:2003/12/19(金) 11:39
此経難持の偈に関係する臨死体験の話。

了義院日達上人は約320余年前の生まれの人。中村檀林の化主の後、京都本圀寺法主となり、在職八年にて職を譲り、鷹峯の草庵にて著述講説に従事された。
上人の随筆集「鷹峰群譚」に紹介してある実話を紹介します。


越後の国、頸城郡下町邑(くびきのごおりしもまちむら)に坂口助右衛門(さがぐちすけうえもん)と云う者有り。其の曾祖母、法号を妙受と言う。年三十三歳にして俄然として逝す。
翌日に至って蘇生す。合家(集まっている家族親戚の意味か?)驚喜す。
すなわち語って曰く、
『我れ死して広野を行く、忽焉として一人の高僧来たり、告げて曰く「汝未だ其の期に至らず。まさに急いで還るべし」
母答えて曰く「わらはは恒に多病なり。再び還らんことを欲せず。願わくば善処に引接したまえ」
高僧の曰く「此の薬を汝に与へん」
母喜んで手を挙ぐ。
高僧即ち薬を以て其の掌中に摺り入れ告げて言わく
「病もし起こらば、汝が掌中を嘗めよ。患ふる所、即ち癒へん」
高僧また告げて曰く「汝に要偈を教へん。誦持して忘るること莫れ」
因って其の文を誦す。此くの如くして蘇る。』

母、時に覚めて後、なお其の文を憶持して一字も忘れず。しかれども何れの経の文と云うことを知らず。
隣邑の僧俗に尋訪するに、知る者無し。
或る人の曰く
『法華宗の僧に値って之れを尋問すべし』
すなわち法華の僧に問う。即ちこれ宝塔品の文、此の経難持六行の偈なり。因って其の僧、此の経の功徳を讃歎す。合家の親族信心随喜し、即座に二十四人、権を改め実に帰す。
しこうして後に、近村伝聞して希有の心を生じ、改宗受法する者百余人なり。
妙受甦生の後三十余年の寿齢を延ぶることを得て、寛永十九年十二月十六日七十歳にして遂に逝す。
始め妙受、其の子助右衛門、深く其の処に一宗の精舎無きことを嘆じ、即ち誓言を発して之れを営建せんとす。
享保八年(1716年)に至って其の曾孫助右衛門、大願此に遂げ、之れを公所に訴え、廃寺の基跡を求め得て、我が宗の精舎を草創し、大栄山光明寺と号す。同国高田常顕寺玄妙日中を延(ひ)いて開基の祖と為す。
次の年夏五月、住持日中、遠く洛陽に来たり、即ち本圀寺の末流に属す。
(中略)
妙受宿因の薫ずる処、卒亡の中に此の偈を感得し、蘇生して忘れず、此の奇特のこと遠近を感動し、捨邪帰正する者、数百人なり。亦復(またまた)志願虚しからずして其の曾孫に至って新たに精舎を建て、法灯をして永く相続せしめ、特に吾が山の末流と為ること、並に是れ此の経難持の功用に由る。


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