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事件・犯罪からみる日本人の心
202
:
凡人
:2011/10/16(日) 12:10:22
生中継。2人がマンションへ違法侵入してから、死体を運び出してくる空白の時間を、入り口のドアに群がるマスコミとともに、信じ難い出来事として息を呑んで、テレビの前で見守っていた。まさか殺人事件になるとは。暴力にはなすすべをしらないマスコミ。個人のプライバシー保護のために警察がなぜ、マスコミを個人宅に近づけないように近くにいないのか。日本は法治国家ではないことを目の当たりにしたショッキングな事件。
****
【関西事件史】豊田商事会長刺殺事件 目の前で起きた殺人
2011.10.14 10:00 産経
自宅で暴漢に襲われ、救急車で搬送される永野会長
「ひまやな、じゃんけんで負けたほうが漫画を買いに行こか」。一緒に張り込み取材をしていた他紙の記者とそんな話をしていたときだった。酒の匂いがしたように感じて、振り返ると、廊下を埋めた報道陣をかき分けるようにして、くわえタバコの中年男2人が、ゆっくりと姿を見せた。
昭和60年6月18日午後4時半、大阪市北区天神橋筋のマンション5階。住人は当時、金の現物まがい商法が社会問題となっていた豊田商事(本社・大阪市北区)の永野一男会長(当時32歳)だった。前日に兵庫県警が外為替法違反容疑で事情聴取したため、永野会長の所在が確認されて、会長宅前の外部廊下には取材に来た新聞、テレビ各社の記者やカメラマンがひしめていた。
2人は廊下に面した寝室の窓ガラスを叩き壊して飛び込むと、中にいた永野会長を(小銃の先に取り付ける)銃剣でめった刺しにした。30人余りの報道陣の目前で繰り広げられた前代未聞の『公開殺人劇』。私もその目撃者の1人となった。
あっという間の凶行
当時の記憶を元に事件を再現してみる。報道陣をかき分けて玄関前に来たのは自称右翼の鉄工所経営者のA(当時56歳)=とその従業員のB(同30歳)だった。報道陣からの「何をしにきた」との問いかけに、「金を出した(豊田商事に支払った)やつに、金返してほしないから、殺してくれと頼まれた」と軽い感じで話すや、居合わせた警備員に「どんなやつでも警備するのか」と怒鳴りつけた。
その後、Aは報道陣が使っていた折りたたみいすを手に、ガンガンと10回、玄関ドアをたたきつけた。さらにBが報道陣の脚立でアルミ格子を壊し、引きはがしてガラスを蹴破った。「おまはんら来るな」。2人は報道陣に言い捨て室内へ。直前にかばんから取り出した銃剣が光った。
「何するんや」「うるさい」。激しいやり取りの後に、どすんという音が響いた。直後に何かを刺す音がして、寝室に吊られた白いカーテンに鮮血が飛び散った。壊した窓から這い出してきた2人は全身に血を浴び、「警察を呼べ」「俺が犯人や」と言い放った。
すぐに、廊下側から寝室をのぞき込んだ。壁際には血にまみれた仰向けの永野会長が横たわっていた。顔が小刻みに痙攣(けいれん)しているように見えた。
2人は、報道陣をよけながら廊下を進んだ。逃げるというのではなく、ゆっくりとした足取り。Aは銃剣を投げ捨てて、廊下奥のエレベーターに乗り込んだ。私も飛び込んだ。テレビクルーと一緒だった。
「なぜ永野会長を刺したのですか」「だれかに頼まれたのですか」。立て続けに質問したが、「明日になったら分かる」というだけ。1階に降りてマンション前の道路を歩いているところを、通報で駆けつけた大阪府警天満署員が取り押さえた。
「よっこらしょ」と言ってパトカーに乗り込んだのが印象的だった。出血多量による永野会長の死亡が確認されたのは45分後だった。
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