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高経大を考える

69凡人:2010/04/10(土) 17:19:51
http://syuun.way-nifty.com/blog/2008/10/post-2f82.html
群馬県人が通わない群馬の公立大学の秘密
高崎経済大・地元の人があまり進学したがらない公立大学と言うのにはいろいろ訳がある。高崎経済大学というのは、元々高崎市の短期大学として設立された。その理由というのは、前橋市に前橋工業短大という夜間の建築、土木の短大が出来た事による。群馬の旧国立大学は、群馬大学だが‥‥旧制群馬医専、桐生高専、師範学校が統合された典型的な新制大学。ここには、普通の大学にある経済各部も法学部もなく、旧高専特有の状況で土木、建築の学科がなかった。戦後の高度成長期にいわゆる土建屋の必要性が増し、建築、土木の夜間短大が出来たと言うものだった。そこで、商業都市であった高崎は、「経済」をと標榜して、同じく短期大学を工業団地の一角に作ったというのか始まり。高崎経済大学は、直ぐに大学になったものの当時の石井繁丸前橋市長は、前橋工業短大は昼間の大学にするとの計画で、校舎の増設計画を残したまま、なんと45年後に前橋工科大学となった。そんな経緯で、前橋工業短大は当時の需要を満たしていたものの、高崎経済大学というのは、各種学校並の知名度であったのは事実。そして極めつけは、入試時ゲタを履かせたことだった。高崎市出身者には、当初500点、県内出身者には400点という具合。だから、群馬県内の受験生のの認識は、受験すれば合格出来ると言うのが高崎経済大学だった。その後、ヘビーブーマーの進学と共に起きた学生運動は激しく、特にこの入試時の県内優遇問題を中心とした。結果、「ゲタ上げ」の廃止が段階的に廃止され、ヘビーブーマーの進学の終了と共に「県内出身者優遇措置」が廃止された。‥‥と共に、群馬県内の高校生から嫌われることになり、不思議なことに偏差値も上がって、事実上群馬県人が進学しない大学になった。特に、群馬県の進学校のトップ校の前橋、高崎高校出身者(共に偏差値68・当時は72以上)で「高経」に進学した時点(決して言わないし、卒業名簿に大学名を書かない)で恥ずかしくて、同窓会にも出席出来ないという。結局その様な地元高校生から嫌われるその影響は大きく、未だに高崎中心部から遠く離れた陸の孤島の様なところに追いやられ、郊外とは言いながら発展しつつある住宅地の続きの中の前橋工科大学とは多少趣が違う。

そして、今会社の経営者になっている世代では、未だに「高経か!」という蔑視の感覚は持ち続けている。今や、群馬大学の教育、工学部より偏差値が高くなっている事もあるが、所詮「高経」は「高経」であって、伝統と多くの卒業生を排出した大学には太刀打ちが出来ない。

戦後のヘビーブーマーと共に巨大化した大学は、大方郊外に移転した。地方では、不思議なことに20年遅れて街の中心部から郊外に出で苦戦を強いられている新設大学がある。大学などの教育機関というものは、本来「街の中」にあってしかるべきもの。欧米の大学というのは、大方そうで日本のように田んぼの中に大学が出現するというのはやはり妙なことだろう。

私立大学は、群馬の坂倉にあった大学が撤退したように、都会から離れた地域のキャンパスは不人気になった。高経の存在価値というものは、単に公立大学であると言うことでしか無いが、いずれ淘汰されるときが来る。群馬県は、あの群馬県立女子大を作ったときに、「広域汚水処理場」とセットで埼玉県の県境の佐波郡玉村に作った。玉村に校舎が作られる前は、前橋駅から10分の旧前橋高校跡(現・群馬県生涯教育センター)に設置されたが、多分そこの方が群馬県のためには100倍も良かったろう。今や群馬県立女子大は、群馬県からは通えず、埼玉県からは通いやすい妙な大学となり失敗例となりつつある。


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