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高経大を考える

135凡人:2011/03/05(土) 08:46:25
●大学の空洞化

そしてこの傾向が、大学闘争にも同時に現れてくるのです。というのは、それまでは
「学問の自由」という意味での学問の独立があったのですが、それを何とかして、今
はもう見事に無残としか見えないと思いますけれども、全部、産業とか経済の側の必
要性に学問の側が従属されちゃう事になってきています。そういう状態が作られてい
くのが、ちょうど65年ぐらいから、まあ60年を過ぎた直後からであるわけです。

そのような社会状況の中で高崎経済大学(群馬県高崎市立)の闘争というのがある。
この闘いの後半戦をフィルムで記録したものが、『圧殺の森』なのです。これは高崎
経済大でだけではなくて、例えば国際基督教大学(ICU)であったり、早稲田の学館
闘争であったり、明治大学であったり、あちこちにあるわけですね。それはどういう
ことかというと、日本の資本主義経済の、いわゆるブルジョワジー―僕はあんまり好
きじゃない言葉ですけど―と言われている部分が、学問も含めて市民生活を支配して
いこうとする、ちょうどその時だろうと思うんですよね。それが65年です。その中で、
学生たちは資本の側のイデオロギーがじわじわと浸透し、ブルジョアイデオローグの
象徴、フェティシュな思想に支配されつつある社会からだんだん孤立していく。
孤立していく中で、高経の中では学館闘争という形で、自治会の権利と自治の聖域を
守る闘いに現れてきます。ということが67年の高経大です。なお、この闘いの真相
は、『圧殺の森』が世に出るまでは学生の間でもほとんど知られていませんでした。
(つづく)


■大津 幸四郎(おおつ・こうしろう)
カメラマン。1934年生まれ。1958年、地方の大学を出て、少しは知的にましな生活を
と東京へ。5年間岩波映画で社員生活後、組織に順応不能な人間を自覚し、会社人間
を廃す。それは同時に体制社会からの追放を意味し、一匹狼を自称しつつ、諸々の映
画づくりに手をそめる。その間、60年安保、70年安保を経過、年を経るごとに、自己
の知の崩壊に愕然としつつ今日に至る。現在『花子』『チョムスキ―9.11』などで、
ハンディなデジタルカメラを使って35ミリフィルムをつくるのに熱中。次回作はエド
ワード・サイードの生と死を追ってパレスチナへ。
3-3end


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