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高経大を考える

125凡人:2011/03/03(木) 04:20:57
市立高崎経済大…再挑戦支える上州気質

“挫折組”に発破

農家の主婦と名物弁当作りに励む高崎経済大学の学生たち。右から3人目が“仕掛け人”の豊田孟さん(群馬県高崎市で)=立石紀和撮影 大学選手権に出場したことはなく、プロ野球選手もゼロ。それでも、高校野球の指導者は数多く輩出している。高崎市立高崎経済大学(群馬県)の野球部は不思議な存在だ。

 「一人の力には限界がある。だから夢を育てろ、人を育てろ、と後輩に言い続けてきた」。野球部の伝統を熱く語るOBの村田繁さん(69)は、昨年暮れでパ・リーグの事務局長を退いた。今月からは母校のコーチになり、有言実行をめざす。

 入学した1959年当時、世の中は高度成長と安保闘争で熱気があふれていた。学内も同じで、村田さんも毎晩、下宿で仲間と国や未来を語り合ったが、いつも一抹の挫折感があった。

 静岡県の進学校で国立大の受験に失敗し、級友には「聞いたことのない大学へ進むんだな」と言われた。下宿仲間も、似たような境遇の秀才が多かった。

 胸のつかえを吹き飛ばそうと野球と勉強に打ち込み、卒業後はスポーツ紙記者として活躍。誘われて移ったパ・リーグでは、予告先発など観客を増やす工夫に心を砕いてきた。この年でコーチ、とも思う。「でも、自分を支えてくれたのは野球で得た自信や夢。それを後輩たちに伝えていきたい」

 山形県の進学校からこの大学に進んだ大宮登副学長(57)も“挫折組”を自称する。ただし、言いたいことはこうだ。「失意を味わったからこそ、自分や他人を客観的に見定められる。決してマイナスではない」

 地域社会の結びつきが強い大学周辺には、学生をしかってくれる大人も多い。当時の下宿の主人は「マージャン厳禁。もっとやることがあるだろ!」と大宮さんに発破をかけた。空っ風に負けぬ上州人はぶっきらぼうだが、裏表がない。言葉にこもった真心がわかると、本を読んで議論するしかなかったという。

地域おこし弁当

 高崎経済大は今、地域おこしの研究・実践で広く知られるようになった。

 雪化粧の浅間山を望む高崎市倉渕地区。過疎化が進む地元は、学生たちが農家の主婦と名物弁当作りを進めている。経済学部・佐々木茂教授のゼミ生たちだ。

 この日の献立は、マスの空揚げ、フキノトウの天ぷら、こんにゃくと里芋のユズ味噌(みそ)あえなど。すべて地元自慢の食材だ。4年生の豊田孟(たけし)さん(23)らが慣れない手つきで里芋の八方むきをしていた。ベテラン主婦からは「包丁、気をつけて!」と声が飛んだ。

 弁当作りは大学の授業の一環ではなく、実は豊田さんの「リベンジ」の思いから始まった。4年前、ゼミの実践研究として地元と町おこし策を相談したが、話し合い不足で何も実現せずに終わっていたためだ。

 昨年、主婦たちに改めて頼み込んで始めた試みは、数十人分の大口注文も舞い込むようになってきた。

 豊田さんは「郷里の三重県に戻らず、ここの大学院に進んで町おこしを実践します」と話す。倉渕の次は、高崎弁当を、そして群馬の名産品をと夢は広がる。

 温かい上州気質に育まれ生きることに熱くなる大学。そう言ったら、空っ風が笑うだろうか。(松本美奈)

沿革
 「商都・高崎に経済学部を」という悲願を背景に設立された高崎市立短期大学が前身。1957年、短大を廃止し、経済学部経済学科だけの4年制大学として発足した。その4年後、高崎市上並榎町(かみなみえまち)の現キャンパスへ移転。地方分権時代をリードする人材を育てるために96年、全国初の地域政策学部を開設した。学生数は約4000人。2000年には大学院も併設された。

(2009年1月13日掲載)

(2009年12月7日 読売新聞)


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