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雑談&連絡スレッド
3723
:
ゼロ
:2014/11/13(木) 23:00:14
(続き)
■3万人を執刀 「心から心配してくれる先生」
義峯さんは、どのような人物だったのか。
医療関係者向けの転職サイトに掲載されたインタビュー記事などによると、義峯さんは昭和40年に三重大学を卒業。同大大学院に入学し、中退後に国立がんセンターなどで内視鏡の技術などを学び、46年に横浜市の産婦人科の医院を改修して医療法人桐峰会を設立した。
胃がんや脳内血腫など多分野の手術を行う救急外科医として自らもメスを握り、開業以来約40年間で3万人以上の患者の執刀に当たってきた。キャリアを重ねる中で、病院の規模もどんどん大きくなっていった。インタビュー記事では「8回の増設工事で驚くほど立派な手術室を設置した。廃業する病院も多い中、この病院は変わらぬペースで歩んでいる」と自信をのぞかせていた。
医師としての評判も高く、数年前から同病院に通院しているという近くの60代男性は「仕事だからではなく、心から患者のことを心配してくれる先生だった。地元では腕一本で病院を建てたカリスマ的な存在だった」と振り返る。
私生活では、病院を開業した昭和46年ごろ、同じ病院の看護師の女性と結婚。高級別荘地があることでも知られる神奈川県葉山町に新居を購入し、3人の子供をもうけた。教育熱心で「娘を医者にしようと思い、3歳のころから手術のにおいを嗅がせてきた」(インタビュー記事)という。
趣味はジャズトランペットで、横浜に病院を置いたのも、ジャズとの縁が深い「横浜に住みたかったから」(同)。自身がリーダーを務める9人組バンド「ドクター松本&ストレンジャーズ」のメンバーは、いずれもプロの音楽家で、病院近くの瀬谷区公会堂で頻繁に演奏会を行っていたという。
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