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雑談&連絡スレッド

3013紫煙狼:2011/02/22(火) 01:52:01
不良と呼ばれ続けて、本当に不良になる例なら、あり得なくはないです。

ただ、それはまず本人に「不良である」と思わせる何かが必要です。
たとえば「不良少女と呼ばれて」の主人公は生まれつきの茶髪を「染めている」と勘違いされ、
不良グループから「いきがってんじゃねーよ」的なイジメをうけ、また、教師もそれを守らず、
結果的に「虐められる側より虐める側」と反発。みんなが不良と呼ぶなら不良になってやる!と
かなりの「おてんば少女」に育ったようです。

これは結果的に周囲が彼女を「不良少女」に仕立て上げた例といえるかもしれません。しかし、
実際は俳優の父をもち、裕福な有名人家庭の子供の容姿が周囲から浮いていれば、そして、当時の
世相を考えれば、神が茶髪と言うのはイジメの理由になりうる話です。

逆に言えば、彼女に「不良と思わせる何か」が無ければ、誰も彼女を「不良」とは呼ばなかった。
彼女の境遇が「嫉妬心を煽る何か」が無ければ、誰も彼女を虐めなかった。イジメがなければ
彼女は不良にならなかっただろうというのは、永山元死刑囚が世間並みの家庭で、世間並みの
愛情を注がれ、世間並みの教育を受けていたら、死刑囚にならなかっただろうというのと同じくらい
「脈絡は無いが関連性はある」話です。

ただ、正しく事実と向き合って欲しいのは、周囲の皆が彼女を「不良扱いした」のは事実でも、
努力して彼女を不良に仕立て上げたわけでもなければ、彼女が不良になるように手助けしたわけでも
ありません。彼女にも「不遇に負けず清く正しく生きる権利があり、義務はあった」わけです。
これも永山元死刑囚に「犯罪者にならない道は幾らでもあった」のと同じです。少なくとも、
殺人者にならなければ、不良にならなければ生きて行けない状況に追い込んだ者はいません。
「お願いだから反社会的な人間になってくれ」と頼んだ者もいません。その生き方を選んだのは
誰でもない本人自身です。


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