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雑談&連絡スレッド

2994無精髭:2011/01/31(月) 20:38:49
死者の本意に沿うことこそ冥福を祈ることだとか本気で主張しだしたら、「死者の本意に沿う冥福
の祈り方ができなかった」人たちから逆襲されそうだな。こんなふうに。

「事件の全貌を明らかにする(全貌が明らかになるのを望む?)ことが冥福を祈ることだって?
批判されるべきというか、それは単に勘違いしているだけでは。冥福を祈るということは冥福を
祈ること以上でも以下でもないわけだから、普通に考えて全貌を明らかにする(「全貌が明らかに
なるのを望む」でもいいですけど)っていうのは冥福を祈ることと全く別のことではないかと。
だからこそ、冥福を祈らずとも全貌を明らかにすることはできるという道理でして(逆もまた然り。
冥福祈ったところで事件は解決しないし)。なんで本来まったく異なる行為を無理につなげちゃうんだ?」

まぁこういう、「誰よりも死者の気持ちが一番よく分かってるのは自分だ」論争に持ってきたがる
人はその時点でレッドカードでしょw 「事件が解明されるのを望む」云々とか言っていいなら、
場合によっては被害者の遺族が冥福を祈っていることにもケチつけられそうだし。まず最初に、
死んだ後のことなんか誰にも分からないということが前提で、次に、本当のことを知りえないから
こそ各自好き勝手に死後のことを想像しても間違いにならないのだとすると、「死者の本意が存在
する」というもっともらしい考えは※、本意か否かに関わらず、人は(一)死んだ後も生前同様に
思念を持ち続けるなか(二)生前のことにも関心を抱きつつ(三)存在する、というふうに、死人
と死後の話であるにもかかわらず生の論理を応用することで、その者の生死の間にあるべき断絶
(つまりこれこそ「死後のことは不可知である」という前提を可能にする事態)を無視していると
言わざるを得ません。死という出来事と死後の世界とそこでの人々の状態及び生活(?)に関する
数ある解釈のうちの一つでありながら、他方で己と矛盾する解釈全てを退けてしまいかねない、
とても身勝手な思想なわけです。

※ちなみに、「冥福」が議論のテーマに関わっている以上、そこで言われる「死者の本意」
とやらは、単に「生前における故人の本意」を意味するには留まらないでしょう。


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