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雑談&連絡スレッド

2992無精髭:2011/01/31(月) 20:37:38
そもそも冥福を祈るってなんぞや、って昔から私は疑問に思ってましたけど。

そういえば小学生の頃だったか、学校関係者の誰かが急死した翌日の朝礼のときに、全校生徒で
黙祷したりとかしましたけど、あれもやり方なんかまったく教わりませんでしたからね。みんなで
俯いて目を瞑ってるのを横目で真似してみたはいいけど、心の中じゃ具体的にどんなことを想えば
いいのか途方に暮れたのを憶えています。長じてからは、友人(無宗派・無神論者)に向かって
「冥福を祈るってどーよ?」などと聞いてみたことがありましたが、「こーよ」といった友人が
少し俯き加減に目を瞑って手を組んでいるのを見て、「いやいや、そうじゃなくてさー。形は
どうだっていいわけですよ。俺が知りたいのは、他人の与り知らぬところでお前は一体何をしている
んだってことですよ。それともそういう格好しなきゃ冥福を祈れないっていうの?」って言いました。
友人曰く「別に目を開けながらでも歩きながらでも祈ることはできると想うけど」だそうです。

で、その機会に以下のような自論をぶつけてみました。「冥福を祈るためには、まず前提として
冥界を思い描かなきゃいけないだろ。でも、冥界を実際に見たことのあるヤツなんてこの世に
いないわけだよ。まぁ、百歩譲って宗教を信じている人たちなら、それが実際に正しいかどうかは
ともかく、仕組みも含めて冥界のビジョンを外から与えられているから単に写し取ればいいわけだし、
仲間内でなら各自が写し取った冥界に大した齟齬が生じるとも考えられない。でも、おれと君は
俗人だから参考にすべき冥界なんてそもそも外から与えられようがないし、教えられたとしても
拒絶するわけだよね。こういう俺たちが冥福を祈ろうと思い立ってめいめい勝手に冥界を思い描
こうとしても、出来上がったものが一致するわけないじゃない。そこに故人を住まわせて幸せを
祈ると言ったって、環境が違えば幸せの具体的な形も異なるはずだから、つまるところおれと君
とはそれぞれの頭の中で故人を違ったふうに幸せにしようとしているんじゃないかな。これって
そのまま無反省に続けてもいいことなのか?」

友人が大して興味もなさそうに洩らした一言。「別に問題ないんじゃない? 魂のあり方が一様
であるとは限らないんだしさ」(魂の存在は信じるのかよー!?)

皆さんにはこういう経験はないんですかねぇ。


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