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雑談&連絡スレッド

2989無精髭:2011/01/31(月) 20:33:06
次は、UFOの比喩について。法の制定にオカルトを持ち込むべきでないという意見は、裏を返せば、
誰もが共通に認識できる事実(客観的な事実)を材料に法を作るべきという意見であるのは明白でしょう。
したがって、今までオカルトとされていたものを皆が事実として認識するようになればオカルトといえないだろ、
という批判は上記に対する反論にはならないはずです。今までオカルトとされていたものも、オカルトでなくなれば
―――つまり一部の人間しか認識できなかった事物も、誰もが認識できる事物になれば、法に組み込むことはできるのですから※。

 ※オカルトの語源は、「隠されたもの」という意味のラテン語だそうです。その正確な意味は、
  知覚できないもののことを指すとのことですから、誰かさんの例の通り、それまで知覚でき
  なかったものが知覚できるようになれば、語の意味からして、それがオカルトであり続ける
  はずがないのは自明w 言ってみれば、「オカルトがオカルトじゃなくなればオカルトか?」
  と聞いているようなものだからw そんな変な質問をするよりも、誰かさんにとっていったい
  何が、そういう事態がいつ起きてもおかしくないところの事物なのかを論じるべきでした。

しかし、将来一部のオカルトがオカルトじゃなくなる可能性があるからといって、現在オカルトとされているものを
残らず法に組み込むよう国は努力すべしとか主張したり、オカルトを法から排除しようとする姿勢に難癖をつけたり
するなんてのは飛躍しすぎでしょう。

なんでこういう突飛な発想が生まれるのでしょうか。早い話、オカルトと事実の区別がはっきりと付いて
いないからではないでしょうか。あるオカルトを自分は事実(つまり非オカルト)であると思っていて、
自分の他にもそれを事実と思っている人が少なからずいるハズだとも思っていて、オカルトを信じない人が
目の前に現れたときに、オカルトについて議論しても相手を説得できないしこっちも相手の言い分に納得できない
から、オカルトと事実との違いはしょせん信じるか信じないかの(曖昧な)違いなのだと思ってしまうというわけです。

しかし、オカルトを信じることと、オカルトを実際に認識することは違います。オカルトを信じている人が多い
からといって、オカルトが実在すると言っていいことにはなりません。そして言うまでもなく、存在しないもので
法を構成したところで何の益もありません。


最後に野球の話。私たちと誰かさんの相違から、野村監督と長嶋監督の相違を類推していましたけど、
この二つにおいて「共通ないし並行する性質や関係があること」あるいは「本質的な類似点がある」
などとどうして言えるのかが意味不明ですね。

野村監督と長嶋監督の本質的な違いが、野村監督の打撃理論や采配が長嶋監督の打撃理論や采配に
比べて少しだけ論理的だというような程度問題にすぎないとしても、私たちと誰かさんの違いが
程度問題になるわけではないですよね。そもそも野球の話と議論の話は全然関係ないですよね。

もし野球の話と議論の話を一緒に扱いたいのであれば、

・野村監督は、論理的に物事や意見を伝えることができる。
・長嶋監督は、勘で物事や意見を伝えることができる。
・私たちは、話し合いをする上で最低限必要な能力の範囲内で、物事や意見を伝えることができる。
・誰かさんは、物事をうまく伝えられない。

これくらいの事実は前提にして欲しいものです。野村氏も長嶋氏も自分なりに野球のことをよく
知っているからこそ選手として成功し、監督も務まったわけでしょう。一方で、野球のことをよく
知らない人は選手とか監督とか以前に、野球のルールすら守れないでしょう。野球の例で行くなら、
誰かさんは長嶋氏に類比されるのではなく、野球のルールも知らないド素人に過ぎないでしょう。


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