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雑談&連絡スレッド

2648無精髭:2009/10/17(土) 02:40:22
その原因について、どうもこれが臭いと私が妄想していることは二つあります。
一つは、昨今の人々は、何を言ったか、ではなく、誰が言ったかに注意している
のではないかということです。もうちょっと詳しく言うと、文章なり発言なりにおいて、
どういう内容であるかとか、どういう表現がされているか・どんな論理構造を有しているか
といったことよりも、誰が・どういう状況で・どんなふうな態度でそれを言ったかを
重要視しているのではないかということです。前に、言語表現はコンスタティヴ的側面と
パフォーマティヴ的側面に分けられるというような話をしたかと思います。それと
同じことですね。下記の記事はそれなりに参考になるんじゃないかと。
http://www.critiqueofgames.net/data/index.php?%A5%D1%A5%D5%A5%A9%A1%BC%A5%DE%A5%C6%A5%A3%A5%D6

もう一つは、紫煙狼さんの仰るところの「自分独自の文法体系」という問題に関わる
のですが、ちなみにこれは哲学では「私的言語」というんですが、私はこれをもっと
広げて考えてみたものでして、すなわち、限られた人々の間でしか通用しないにも
かかわらず特定のコミュニティでは普通に行われている言語使用の例というものの
問題性についてなのですが、こういった場合の言語の規則性は確かに国語学や言語学
が規定するところの一般文法(まぁ学校文法でもいいのですが)からは漏れるでしょう
けど、例えばその特殊な言語が複数の人間によってコミュニケーションのために用いられ
ているのであれば、そこに何らかの規則性を私たちの行う言語使用との類比によって
見つけるのはそれほど難しいことではないでしょうし、彼らが言語を使用する際にその都度
拠り所とされる文法が存在することにも何がしかの社会的な意味(この場合の社会とは
もちろん私たちが暮らす社会)があるはずだと思いますよ。ちゃきいさんなんか、
紫煙狼さんのあの言葉をなぜだか暴言と受け取ってしまう風変わりな文法(習慣)を
共有する集団に属しているのではないでしょうか。


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