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雑談&連絡スレッド
2605
:
無精髭
:2009/03/22(日) 11:15:02
国民に教育を施すというだけでそこまで迂遠な手順を踏まなければならないとは!
だいたい教育といっても、政治についての関心を喚起するという簡単な意識変革
というほどの意味なんですよ?
・・・なんかもう唖然というか、倦怠感に近いものを感じてしまいます。
私はメディアとそれが自らの存続の為に生み出した「大衆」、この二つの共犯的な結託に
こそ問題を感じておりますので、自分以外の人間(個人)というものに関しては何ら
差し出がましいことを言うつもりはございません。メディアとその雑多な特徴に反映される
ように同じく茫漠糢糊として不確かなイメージである「大衆」との相互関係において、
もはやどちらが先に相手を規定し始めたのか皆目分からないような影響力の乱反射が
作り出す幻影に惑わされて、右も左も分からないまま、そうやってメディアにとって
好都合に歪められたともいえる、蜃気楼のような大衆像へ容易に自己を投影、乃至投入
してはいけません。
そもそも「大衆=多くの個人」という了解図式が間違っているのではと思われます。
「多くの個人」という言い方が何とも不安定というか、矛盾を孕んだ表現に思えるのは
私だけでしょうか。木を見て森を見ずという言葉にあるとおり、個々人を見て集団を
把握したと思うのは誤りですが、その逆もまた然り。森を見て一株一株の木を注視できない
のも、わたしたち人間の認知能力の限界性ゆえです。まあ、森と木の関係とは違い、大衆と
個人の関係では、前者が存在的にメディアに依存するものである以上、必ずしもフィジカル
なつながりがあるともいえないでしょう。つまるところ、大衆と個人を同時に頭に思い描き、
両者の決定的な違いを把握した上で相互比較する、というような物事に対する視野を鍛える
トレーニングもこの場合可能でしょう。
国民一人一人に分かれて自らの足で立つようになれば、大半の人はそんなに馬鹿じゃない
はずだと思っております。もっぱら印象論ですが、実際は大衆の平均的知性よりも高い
水準にあるでしょう。そこが矛盾しているといえばそう。仰るとおり、集団から自立して
個人の立場に立てば、誰しも必要に迫られて賢くならざるを(賢く振舞わざるを?)得ない
でしょうね。世論とか民意とかいった、街頭アンケートや電話調査的な多数派・一括りの
意見とやらをひとまず脇において、まずは自分の判断を大切にしてほしいところです。
もちろん(本来大衆とは全く異なる)他の個人の意見も粛々と参考にしながら。
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