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雑談&連絡スレッド
2409
:
無精髭
:2008/07/23(水) 22:59:26
>本当は限られた文字数の中で過不足なく伝える事こそが本当の文才であろう。
この点は同感です。私は「限られた文字数」というのを比喩として受け取り、そこに読み手の
読解力を当てました。要は、文才のある者(作文能力に秀でた者)は、誰が読み手であるかに
よって(その者の読解力の程度によって)、自説を書く為の文字数の制限を自ら設定し調整
しなければならない、という風に読んだのです。これは多分、私の誤読でしょう。上の文の
後にすぐ「作文力100%を実現するのに必要な文字数」と続きますから。ですがそう考えますと、
書き手における作文文字数が制限されるのは、客観的な基準によってではなく、その書き手自身
の判断による、ということになりそうです。あらゆる面から見て完璧な文章を書く、という
理想が作文力100%という奇妙な数値を生んでしまう、これも「相手に100%の読解力を求める
のは書き手のワガママ」という認識からすれば、当然の要請かと思われます。
奇妙な数値と申しましたが、例えば作文力100%の天才がいたとしても、その周りに読解力100%
の天才が一人でもいなければ、書き手の方の天才の作文力100%は客観的に存在し得ないことに
なってしまいます。彼がどんなに自分の作文力を完全だと言い切っても、彼の周りに、否この世に
読解力80%の人間しかいなかったら、彼の作文力は公的には80%と判定されてしまうことでしょう。
たとえ作文力と読解力が正の相関にあるものだとしても、彼の読解力100%は自身の作文力100%を
計る為のものではなく、仮に計って見たとしても、主観が判定基準になっているという点で、公に
おいてその数値の信憑性が疑われることは必至です。
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